2009年11月27日金曜日

畠山美術館

2009年11月23日(月)祭日
 昨日の「東慶寺」での「お茶会」+「琵琶の会」で「招待券」を頂いたので、白金台にある「畠山記念館」を訪れた。

 住宅街の中にある「島津藩」の元別邸は、綺麗な庭と茶室を有する閑静な場所であった。どこか個人の御宅に御邪魔するような雰囲気の庭園を通り、本館へと向かう。

 本館へは、入口でスリッパに履き替えて入館するのだが、客として呼ばれたような気分になるので、なかなかいい雰囲気である。

 館内に入ると、展示場が「2階」という案内がある。2階に上がると、名品の数々が余裕を持たせた空間にゆったりと展示されている。展示方法での大きな特徴は、一方の壁部が畳敷きの座敷のようになっていて、あたかも客間で展示物を見ているような雰囲気を演出している点である。この畳敷きの部分は、左側に茶室が設けられていて、露地の雰囲気も味わえるようになっていて、この茶室の中で御茶を頂戴することができるようになっている。今日は、ここでも御茶を頂戴した。なかなか美味しい御茶である。

 今迄訪れた美術館の中で、特に日本の茶道具、等が展示されている美術館としては、その展示物の設定、館内の雰囲気、そして庭を含めた美術館全体の環境を含めて、大変に素晴らしい美術館であると思う。

 本日の御目当は、以前、書物で読んで知っていた、「重要文化財 唐物肩衝茶入 銘 油屋」(南宋時代:13世紀)である。この「茶入」の伝来は、油屋常言~油屋常祐~豊臣秀吉~福島正則~福島正利~徳川秀忠(柳営御物)~土井大炊頭利勝~河村瑞軒~上田宗悟(冬木家)~松平不昧(松平家)~畠山即翁~畠山記念館という、多くの歴史上の人物に愛された「茶入」である。大変にしっとりと落ち着いた雰囲気の「茶入」である。

 また、「古瀬戸肩衝茶入 銘 円乗坊」もなかなか魅力的な茶入である。伝来は、古市播磨~円乗坊宗円~桑山修理~中山主馬之介~神戸彦七~神田安休~三井元八~松平不昧~畠山記念館である。

 「原三渓」が所有していた「独楽棗」(16世紀)がなかなか落ち着いた配色で、非常に優雅な「棗」である。
 また、模様の美しさでは、「菊桐蒔絵棗」(桃山時代:16世紀)の棗が魅力的である。

 「古銅耳付花入 銘 西湖」(明時代:16世紀)は、大変に美しい花入である。

 「青磁香炉 銘 浅間」(明時代:16世紀)は、大変に美しい青磁の香炉である。

 「高取水指」(江戸時代:17世紀)は、ちょっと変わった形をしているが、私の目を惹きつけた水指しである。
 「菊桐蒔絵炉縁」(江戸時代:17世紀)の優美な模様は、前日の「月釜」で「炉」及び「炉縁」を観た後だったので、大変に気になった。こんなに美しい「炉縁」があるとは。

 書き物に目を移すと、まず、「扇面月兎画賛 本阿弥光悦筆」(江戸時代:17世紀)は、私の心を惹きつけた。概して、私は、「本阿弥光悦」の作品が好きなようである。

 そして、「国宝 煙寺晩鐘図 伝牧谿筆」(南宋時代:13世紀)。さすがに素晴らしい作品である。

 「消息 豊臣秀吉筆」(桃山時代:16世紀)は、茶室に掛けたらさぞ引き立つだろうと思う。

 最近は、自分が茶席を設けるような気分で、茶道具を眺めてしまう傾向になってきた。それもまた楽しからずや、である。

お茶会+琵琶の会@東慶寺


2009年11月22日(日)
 時折、時雨が降るような空模様の中、北鎌倉「東慶寺」にて、「月釜」に続いて、「お茶会」と「琵琶の会」に参加した。

 「お茶会」がどのようなものか、それも楽しみであるが、それにも増して「琵琶の会」がより心待ちである。また、「琵琶の会」が始まるまで、「点心の御食事」が供されるとのこと。こちらもどのような御料理が出てくるのか楽しみである。

 「お茶会」は、「白蓮舎」(立礼式)と「寒雲亭」との両方の席で交互に行なわれた。
 私は、まず「白蓮舎」で御茶を頂戴した。お菓子は、「干菓子」。ここでも「次客」の席になってしまった。そのときの参加者は、7名程で、女性は全て和服。やはり日本の女性の和服姿は、なかなかよいものである。

 その後、時雨が降り、底冷えする寒い中、赤々と燃えている火鉢の炭で暖をとりながら、「腰掛待合」で暫く待った後2時から行われた「月釜」に続いて、「寒雲亭」で二回目の御茶を頂戴した。「月釜」の時とは異なり、このときは、「寒雲亭」は、ほぼ満席状態であった。やはり茶席は、ある程度、客が多い方が楽しい雰囲気になる。これで今日は、三度も御茶を頂いたことになった。

 「寒雲亭」での茶席では、今迄座ったことがなかった一番末の席に着いた。本当の茶会では、かなり大変な役目をする席となるが、今回は、気楽な気持ちである。

 この席から眺める茶室も、雰囲気が異なり、いろいろと新たな発見をした。例えば、「風呂先」の波模様。白地に黒の線状模様で波が浮き彫りとして付されているもので、これは、まさしく「意匠」である。また窓際に目を移すと、縦格子の障子と、横格子の障子とが場所を異なって交互に配置されており、絶妙な雰囲気を醸し出している。「寒雲亭」の内部で、また新たな発見をしたような気分になった。

 「時雨清紅葉」という御軸
 上生菓子:「日本橋・長門」のもの
 お花:侘助の一種

 「お茶会」の後、「食事」が「方丈」にて椅子席で供された。「東慶寺」の「方丈」に上がるのは、これが初めてである。「点心の御食事」には、「煮物」の他に、「天麩羅」や本場の「けんちん汁」も付いていて、なかなか美味しかった。御飯は、笹に包まれていて、笹寿司のようなものが2つ。これもなかなかいい味だ。また、土瓶に入った御酒を猪口で飲んだ。そして、デザートも付いている。思った以上に、お昼を食べていなかったお腹が満たされたようだ。

 暫く食休みしてから、午後6時(18時)開演の「琵琶」の演奏を聴くために、「方丈」から廊下を伝わって「本堂」へ移動する。「本堂」に上がるのは、先日の「お月見の夕べ」に続いて二度目である。

 「琵琶の会」に先立ち、御住職が挨拶をされる。 その後、荒井姿水さんにより、演奏者の紹介があり、最初の演目について説明があった。

 最初の演目は、「桶狭間」。奏者は、荒井靖水さん(薩摩琵琶)である。これは、「語り」が伴う演奏である。「織田信長」と「今川義元」との有名な「桶狭間の合戦」の場面を語る。つい先日、「袋井」に旅行して、「今川義元」に所縁のある場所を訪れたばかりである。演奏を終えた後、荒井靖水さんが「琵琶」の種類、その演奏の仕方、等について解説をして下さった。

 続いての演目は、「沁臆」(シンオク)。これは、荒井靖水さん(5絃薩摩琵琶)・荒井美帆さん(25絃琴)の共演で、二人が作曲したものである。演奏を始める前に、荒井靖水さんと美帆さんが曲について説明をして下さった。これは、演奏のみだったが、なかなか綺麗な調べである。

 そして、最後の演目は、「平家物語」の一部である「敦盛最期」。奏者は、荒井姿水さん(薩摩琵琶)である。
 演奏を始める前に、荒井姿水さんが、つぎのような「平家物語」にまつわる「平忠度」について解説をして下さった。「平清盛の弟である平忠度は、薩摩守に任じられていました。武勇にも秀でていましたが、和歌をたしなんで、その道の名人である藤原俊成に教えを受けていました。いよいよ平家都落ちのとき、忠度は一度都を出たあとに密かに引き返し、俊成を訪ねます。落人が帰ってきたといって屋敷の内は騒ぎますが、「門を開けてくれなくてもいいので、門の側まで寄って下さい。お願いがあるのです」という忠度の言葉に、俊成は門を開けて対面します。忠度は、「世の中が静まって勅撰和歌集の企画が持ち上った際は、一首でもよいので私の歌を入れてください。私は一門とともに亡びていきますが、それが唯一のお願いであります」と、日頃から書き集めておいた和歌の巻物を俊成に渡します。俊成はこれを引き受けます。忠度は喜んで、「今は浮き世に思い残すことなし」と馬に乗り西へと向かいます。そんな忠度の背中を見送りながら、俊成は涙を袖で押さえるのでした。忠度が一の谷で討ち死にしてから三年後、俊成は勅撰和歌集・千載集を作りましたが、その中に忠度の歌を一首入れました。

「ささなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山ざくらかな」

 ただし本人は当時朝敵であったので、俊成はその名をかくし、「よみ人知らず」として入れたのです。
 また、「無賃乗車」のことを「薩摩守」という謂れについて、「千載集」に「平忠度」の和歌が「詠み人知らず」として載せられていることから、「タダ載り=タダ乗り=忠度=薩摩守」と言う、ということも語られた。
 この演奏は、「語り」を伴うもので、その内容は、「一の谷の戦い」で「熊谷次郎直實」に命を奪われた「平敦盛」の物語である。

 テレビ、等で「平家物語」を語るときに「琵琶の演奏」が伴うような場面を何度か見てはいるが、実際に「平家物語」の語りを「琵琶の演奏」を伴ったライブで観たのは、今回が初めてである。なかなかの迫力で、それぞれの物語の内容もある程度理解できた。

 琴の音色といい、琵琶の音色といい、雅楽に用いられる楽器の音色は、心が落ち着く。機会があれば、また聴いてみたいと思う。

2009年11月26日木曜日

猛禽類医学研究所1


 写真:野生に帰るため、頑張ってます!(クマタカの幼鳥)
「猛禽類医学研究所」HPより転写


「猛禽類医学研究所」に関するお知らせ。

 昨年2008年6月には、NHKの「プロフェショナル 仕事の流儀」で、猛禽類医学研究所代表の齊藤慶輔さんの活動を見たことが契機となり、微力だが個人的に支援を続けている。

 齊藤さんをモデルにした映画「ウルルの森の物語」が12月19日から全国公開される。齊藤さんをモデルにした獣医師を演じるのは、俳優の船越英一郎さん。上述の「プロフェショナル 仕事の流儀」の番組を見て感銘を受けた映画の制作者が昨年11月、釧路市の齊藤さんの元を訪ねて、野生生物を助け、守る活動を映画にしたいということを伝え、完成したのが、映画「ウルルの森の物語」(全国東宝系)。

 映画は、生き残っていた「エゾオオカミ」の赤ちゃん「ウルル」を発見し、治療の末に再び野に放つという架空の物語。

 映画の中で、鉛中毒になった「オジロワシ」が搬送され、治療を行うシーンが登場し、齊藤さんの研究室が再現されている。

 映画「ウルルの森の物語」の主人公のモデル齊藤慶輔さんの紹介
http://www.ululu-movie.jp/model.html

 猛禽類医学研究所のホームページ
http://www14.ocn.ne.jp/~irbj/index.html

 映画と同時に『野生動物のお医者さん』(講談社)も出版される。

 その本のなかで、「野のものは、野に。」と齊藤さんが訴えている。それは、大学時代に北海道の大自然の中をオートバイでツーリングしていたときに私が考えていたことと共通する点でもある。

2009年11月17日火曜日

標準模型(1)


 通勤電車の中で本を読むことは楽しいことであるが、今迄、「物理学」に関する本については、何冊かの本を除けば、途中で興味をなくしてしまうことが多々あった。それは、記載されている内容が徐々に尻窄みになってしまうものが大半であったからである。

 しかし、今読んでいる本は、違っている。その本は、《「標準模型」の宇宙 現代物理の金字塔を楽しむ》ブルース・シューム・著(森弘之・訳) 日経BP社2009/09/14 (原題 "Deep Down Things - The Breathtaking Beauty of Particle Physics", Bruce Schumm, Johns Hopkins University Press, November 2004)というもの。

 この本は、自然界の三つの基本的な力(電磁気力、弱い核力、強い核力)の働きかたを解き明かす、「ゲージ理論」に基づく素粒子の「標準模型」(Standard Model)に関する「入門書」である。
 「ゲージ理論」は、抽象的な対称性の議論から現実の相互作用のありかたを導き出す理論であり、自然界の基本的な力が対称性に従うものであり、方程式の持つ対称性が単純で美しいものであるという可能性を追求することによって、相互作用を表す項を導き出す。そして、素粒子の世界の対称性を数学的に表すのに使われるのが「リー群」という数学である。

 この本では、波動方程式、波動関数、等に関して、一般向けの量子力学に関する本では、記載されていない「ゲージ理論」、「リー群」との関連性について、物理的イメージが容易に理解できるように、平易な表現で記載されている。そして、U(1)、SU(2)、SU(3)等の概念を、複雑な数式を用いずに、平易な数学的イメージにより容易に理解することができるように工夫されている。

 「標準模型」は、「素粒子物理学」の世界を理解するために20世紀後半に多くの理論物理学者によって構築された理論である。 「ゲージ理論」、「リー代数」、「リー群」と「標準模型」との関係に興味がある人には、特にお勧めの本である。

 素粒子物理学の理論、特に、2008年にノーベル物理学賞を受賞した「小林・益川理論」の基礎をなしている「標準模型」に関して興味がある人にもお勧めしたい。

 本書は、量子力学のような基本的な「物理的概念」の知識があれば、その内容をより理解することができるが、高校程度の物理全般の知識があれば、多少の物理の基本書を参考することによって理解することができると思われる。

 以下にBruce Schumm教授のHPより抜粋したものであるが、同教授の実績を紹介する。Schumm教授は、理論物理学者ではなく、実験物理学者であることに特に注目したい。
Bruce SchummProfessor of Physics at University of California at Santa Cruz
(B.A.; Haverford College, 1981, Ph.D.; University of Chicago, 1988)

Finally, I have written and published a relatively accessible presentation of the Standard Model of Particle Physics, entitled "Deep Down Things - the Breathtaking Beauty of Particle Physics" (Johns Hopkins University Press, November 2004). In this book, I tried to present physicist's current thinking about the forces of nature without requiring a formal scientific background of the reader. The Universe is a wonderfully subtle yet fascinatingly structured place, and I hope the readers of Deep Down Things come away with a deeper appreciation of its miraculous beauty, as well as some of the conondrums that its deeper study present.

2009年11月16日月曜日

冷泉家の七夕祭

平成21年11月14日(土)

 東京文化会館で開催された《「乞巧奠~七夕の宴~」~京都・冷泉家の雅~》を観てきた。

 午後15時の開演前には、会場が既に満席に近い状態であった。

 舞台上には、「二星(たなはた)」と「乞巧奠(きっこうでん)」の二つの祭りのための「祭壇」が既に飾られている。「祭壇」には、二つの星のための琴や琵琶(びわ)が並び、「瓜・茄子・桃・梨・空の杯・大角豆・蘭花豆・蒸しアワビ・鯛」がそれぞれの皿に盛られ、いずれも二組そろえられて並べられている(それぞれが、牽牛(彦星)と織女(織姫)への供え物)。五色の布や糸、花瓶には、秋の七草が活けられている。水を張った角盥(つのだらい)は、星を映して眺めるためのもので、「梶」(かじ)の葉が浮かべられている。

 開演に先立ち、冷泉貴実子さんが、「乞巧奠」とは旧暦7月7日に同家の庭で行われ、「蹴鞠」、「雅楽」、「和歌」などの技芸を手向け、技が巧みになるよう祈る「歌会の儀式」である旨を話された。その後、各部の開始前に冷泉貴実子さんが、登場されて、各部の演目がどのような内容の行事であるのかを容易に理解することができた。

 演目:
 一部:蹴鞠(蹴鞠保存会)
 二部:雅楽演奏(絲竹会)
 三部:和歌披講(冷泉家門人)
 四部:流れの座(和歌当座式)(冷泉家門人)

 全ての部において、演じる人々が絵巻物から抜け出てきたような装束を身に纏い、その時間と空間を超越した優雅な立ち振る舞いと所作に、「平安時代」に遡ったような気持ちになった。

 第一部の「蹴鞠」は、平安時代の貴族の装束を身に纏い、蹴鞠を行うものである。それぞれの人の所作や立ち振る舞いが印象的であった。

 第二部の「雅楽演奏」は、初めてライブで聴く雅楽の大演奏で、西洋の楽器による演奏とは異なり、雅楽の楽器は、自然に調和している音を醸し出す東洋独特のものに思える。

 第三部の「和歌披講」は、(冷泉家門人)により和歌を朗詠することである。あらかじめ出題された兼題について、詠まれた歌を披講するもの。読師と講師とから構成されていて、合唱が響き渡り、「和歌」の世界へ心が入っていく。

 第四部の「流れの座」は、殊に素晴らしいものであった。歌の題は、組題(くみだい)で、「七夕(しっせき)」が頭につく、各人別々の題を、その場で各々が取りに行く。所役は、一人一人に重硯を配り、紙を用意して準備を整える。やがて男女のペア5組の間に「天の川」に見立てた白い布が敷かれ、彦星と織姫に擬された男女は、扇にのせた詠草を贈答して、翌朝鶏の声を聞くまで歌会を楽しむというもの。絵巻物から抜け出てきたような平安時代の貴族さながらの装束を身に纏い、歌会の「優雅な時の流れ」を感じさせてくれる。二組の男女が作られた歌を冷泉貴実子さんが披露して下さったが、大変にすばらしいもので、つい感激してしまった。御観覧の「天皇・皇后両陛下」も「流れの座」に御参加されたかったに違いないと思う。

  「星あひのゆふべすずしきあまの河もみぢの橋をわたる秋風」

 ますます「和歌」に興味を覚えた一日であった。

2009年11月12日木曜日

大学院生活の思い出(3)



 UNC-CHでは、Prof. Yee Jack Ngから”Quantum Mechanics”を教わったが、彼もProf. Merzbacher同様、Harvard Universityの大学院でProf. Julian Schwingerの学生(Harvardでの最後の学生)であった。そして、UCLA及びプリンストン大学高等研究所で実質的にはPh.D.の論文研究を行った人である。

 なお、WMUでは、曽我教授からTheory of Electricity & Magnetism を教わっていて、Prof. Julian Schwingerと朝永振一郎先生のそれぞれの御弟子さんから、「Quantum Electrodynamics」の基礎を教わったことになる。

 余談であるが、Harvard Univ.でMerzbacher教授と同期でJulian Schwinger教授の下で研究をしてPh.D.を取得したProf. Bruce DeWitt(現Univ. of Texas at Austin)もUNC-CHのDepartment of Physics & Astronomyで長い間教授として活躍され、理論物理学、特にアインシュタインの研究テーマとして知られている『General Relativity』の世界的権威者の一人としてUNC-CHのDepartment of Physics & Astronomyの名前を物理学の世界に広めたが、後年、彼の奥様でもあったProf. Cecil DeWittに係わる問題でUniv. of Texas at Austinに移ってしまった。大変残念なことである。また、彼が教授として在籍していた当時は、日本人として『General Relativity』の世界的権威者の一人であった大阪大学の内山龍雄教授も客員研究員としてUNC-CHのDepartment of Physics & Astronomyに在籍されていた(参照:チャペル・ヒル日本人会記録ノート)。

 Prof. Bruce DeWittが在籍されていた当時、UNC-CHのDepartment of Physics & Astronomyは、理論物理、特に『General Relativity』のメッカであった。『General Relativity』の権威者として有名なProf. John A. Wheeler(Princeton University)も当時は教授としてUNC-CHに在籍していたのである。そして、UNC-CHでProf. John A. Wheeler教授の下でPh.D.を取得した学生に、Nuclear Physicsに功績があった女性原子核物理学者のKathrine Way教授がいる。

 再び余談。WMUの曾我教授は、東京教育大学での「朝永振一郎」先生の最後の学生(弟子)であった。これは、奇しくもあまりにも偶然であった。Julian Schwingerと朝永先生は、Feynmannと共にその「Quantum Electrodynamics」
の研究の功績により同時にノーベル物理学を受賞した物理学者である。

 Mathematics for Physicistsは、Prof. Hendrik van Dam (Examen Doctorale 1959 University of Amsterdam) から教わったが、彼は、Prof. Martinus Veltman(1999年(Nobel laureate)University of Michigan at Ann Arbor)と協同で”van Dam-Veltman Discontinuity Theorem”を発表し、Prof. Eugene Wigner(1963年(Nobel laureate)Princeton University)とも協同で研究を行っている。

 更に、Solid State Physicsは、Prof. Slifkin (Ph.D.: Princeton) から教わった。

 そして、Electrodynamicsは、Prof. Jim York (Ph.D.: N. C. State) から教わった。UNC-CHからRetireした後、現在Cornell Universityの教授として現役でGeneral Relativity, Cosmology等の分野で様々な理論的研究を続行している。

 UNC-CHのfaculty membersにはノーベル物理学を受賞した教授の愛弟子が他にもいる。まず、Prof. Wayne Bower (Ph.D.: Cornell)。彼は、Cornell Universityの大学院で、Prof. Hans A Bethe(Nobel laureate)の下で研究の指導を受けた。

 Prof. Robertsは、Columbia UniversityでPh.D.の最終口述試験のときの試験委員3人全てがノーベル賞受賞者であったという。研究指導者は、確かあの有名なBragg教授であったように記憶している。

 授業を受けたことはないが、私には好意的であったJ. Ross Macdonald教授。B. A.(Physics, 1944)Williams College、S. B., Electrical Eng., 1944, S.M., Electrical Eng., 1947; graduate study in Physics, 1947-1948 Massachusetts Institute of Technology、D.Phil.(Physics) 1950 New College, University of Oxford(Rhodes Scholar, 1948-1950, MIT); D.Sc. 1967 University of Oxfordをそれぞれ取得している。専門分野は、半導体である。

 また、理論物理学者としては、世界的に知られているPaul H. Frampton教授がいる。典型的Oxford manである(Brasenose College, University of Oxford: B.A. 1965, M.A., 1968, D.Phil. 1968, and D. Sc. 1984)。京都大学のYさんがポストドックとして Frampton教授の下で研究していたので、よく研究室に遊びに行った。Frampton教授のOxfordでのアドバイザーは、Abdus Salam教授(Nobel laureate: University of Cambridge)の弟子にあたるJohn C. Taylor教授(University of Cambridge)であった。専門分野は、Particle Phenomenology and Cosmologyである。The University of Chicagoでは、南部陽一郎教授(2008年Nobel laureate)の下でポストドックとして活躍し、共同で論文を書いている。

Notable Physicists
 UNC-CH在籍中に御会いすることができた外部の教授の筆頭としては、自分の研究テーマである「Atomic Collision(原子衝突)」に関して、University of CambridgeのCavendish Laboratoryの所長であったSir Nevile Mott教授(Nobel laureate)である。彼のAtomic Collisionに関する研究、とりわけその理論的解析における貢献は量りしれないものがある。すぐ目の前に立っているSir Nevile Mott教授に直接質問をしてみたが、そのときには私の心臓の鼓動がかなり高鳴ったことを今でも覚えている。
 なお、Cavendish Laboratory*(1)は、多くの物理学者により金字塔的な物理研究がなされた場所として世界的に知られている。

 次に、シカゴ大学Ugo Fano名誉教授が挙げられる。彼とは、1985年5月13日と14日にUNC-CHで開催されたD.O.E.の『Atomic Physics Program Contractor’s Workshop』の際に、Prof. Shafrothの自宅でお会いすることができ、Prof. Shafrothから紹介していただいた。Ugo Fano教授は、イタリーのローマ大学で、私が最も尊敬する、あの有名なEnrico Fermi教授(Nobel laureate)、そしてWerner Heisenberg教授(Nobel laureate)から指導を受け、そしてEnrico Fermi教授と一緒に米国に渡りColumbia University及びThe University of Chicagoで研究をした学者である。即ち、Fermiの最後の愛弟子であり、私としては、夢のような人物である。

 私の物理における研究は、Accelerator-Based Heavy Ion-Atom Collision がメイン・テーマであり、この研究に携わることができたことは、今でも良かったと思っている。そして、日本では会えるかどうか分からないような、上述したトップクラスの研究者に出会え、そして研究テーマについて気軽に対話できたことは、生涯の思い出である。

 なお、The Institute for Advanced Study at Princeton Universityの所長であり、有名な理論物理学者・数学者のProf. Freeman DysonがUNC-CHの哲学に関する特別講演者としてチャペルヒルに1983年Fall Semesterの間滞在したことがある。

 また、Duke Universityのキャンパスで、素粒子理論で有名なPro. Murray Gell-Mann(Nobel laureate: California Institute of Technology)の講演も聞いた。彼は、マルチ・リンガルでもあり、本当の意味での「天才」であったという印象が残っている。

 余談であるが、Cornell Universityの天文学者であるProf. Carl Seganの講演やCarnegie-Mellon Universityのノーベル経済学者でコンピュータの研究者でもあるProf. Herbert Simmonの講演、地球のヴァン・アレン帯としてその名を残しているUniversity of Iowaのあの有名なProf. Van Allenの講演も聞く機会があった。後者の二人は、WMUでのもの。しかし、Prof. Carl Seganについては、どこだったか記憶にないが多分、Duke Universityではなかったかと思う。

*(1)Cavendish Laboratory (キャベンディッシュ研究所)
初代キャベンディッシュ研究所の所長に当たる物理学教授はTheory of Electricity & Magnetismで有名なJames Clark Maxwell。

大学院生活の思い出(2)



Research at The University of North Carolina at Chapel Hill

 Prof. Steve M. Shafrothは、UNCにおけるAtomic Collisionの実験Groupのリーダであり、私のMaster's Research の指導教授である。

 Prof. Shafrothは、WMUの曽我教授とThe Bartol Research Foundation in Swarthmore, PA.で研究室が隣接していたこと、そして同じ「原子核物理」の研究者だったことがある。また、WMUのProf. TanisのUNCにおけるPost Doctor研究の指導者でもあった。

 Prof. Shafrothの下でUNCで最初にPh.D.を取得したBarney L. Doyle (Manager, Ion Solid Interactions and Defect Physics Department, Sandia National Laboratory)が書いたProf. Shafrothのプロフィールを以下に示す:

 Prof. Shafrothは、1947年にHarvard CollegeからB.A.の学位をCum Laudeの優等で取得し、その後、1953年にJohns Hopkins Universityの大学院でStanley S. Hanna教授(後にStanford University教授)の指導の下で原子核物理学を専攻してPh.D.を取得する。また、同大学院でピエール・マリー・キュリー大学(パリ第6大学)からフルブライト奨学生として留学していた数学を専攻するChantal夫人と出会った。Ph.D.を取得した後、シカゴ郊外にあるNorthwestern Universityで講師及び助教授として5年間を過した。その間、5MV垂直式バン・デ・グラーフ型加速器を構築することによって加速器の魅力に捕りつかれてイオン誘起ガンマ線物理における輝かしい経歴が始まった。また、彼は、超伝導の鉛における陽電子の対消滅について研究した。それに続き、中性子、6Li及び7Liの入射粒子を含む核反応に対するNaI検出器の応答を研究するために、9ヶ月間をフランスのSaclayで過ごした。次に、Bartolで1960年から7年間研究を行なった。そこでは、magic 50の中性子核89Yの構造に関する研究、及びアイソバリックアナログと巨大双極子共鳴との間の干渉に関する非常に優れた研究を含むガンマ線の生成の研究を継続して行なった。その間、Temple Universityで講師及び米国海軍研究試験所(NRL:NAVAL RESEARCH LABORATORY)でカウンセラーとしても活躍した。1967年にUNC-CHに移り、Si (Li) X線分光器の発明によって誘発された加速器を利用した原子物理学の復興の立役者の一人になった。TUNLで行なわれたこの研究は、まず内殻イオン化現象を含み、そして後に多重イオン化及びX線サテライト、ハイパーサテライト、及び2電子1光子遷移の生成の研究に発展した。1970年代の後半に、UNCの彼の研究グループは、Radiative Electron Capture(REC)のような入射X線現象に集中していた。この研究は、1980年代に、彼のグループは、恒星及び熱核融合プラズマの研究においてかなり重要であるプロセス、Resonant (及びNonresonant) Transfer and Excitation (RTE)、を発見するに到った。UNCに在職中、彼は、サバティカルでフランスのパリにあるInstitute du Radium, 日本の和光市にある理化学研究所、及び米国オークリッジ国立研究所(ORNL)で研究を行なった。彼は、1980年より研究及び産業における加速器応用の協議会の組織委員会のメンバーであり、1978よりAtomic Data and Nuclear Data Tablesの共同編集者であり、米国物理学会(APS)のFellow(フェロー)であり、100以上の論文を投稿している。彼の優れた実績を表すその他のものは、これらの論文における120以上の異なる共同研究(素粒子物理ではなく原子/原子核物理であるという点に注目)を行なっており、且つ18の異なる加速器で研究を行なっている、という事実である。彼の業績は、事実、科学的発見及び理解によって優れたものであると同時に、原子核及び原子物理に対する彼の最も重要な寄与は、彼の科学に対するアプローチの独自な謳歌にあると私は思う。研究に対する彼の愛情は、感染しやすく、彼の学生、ポストドック、及び同僚でさえも、仕事や科学的アプローチを形作って行くことにおいて重要や役割を演じている。また、教育者として、彼は、いつも大変心が広く且つ学生の考えを支持し、また、学生が何かを発見しやすい大学/実験室環境を生み出す能力を有している。

 UNCにおけるAtomic Collisionの理論Groupのリーダは、原子衝突理論物理学の世界的権威者の一人Kenan ProfessorのEugen Merzbacher教授である。
 Merzbacher教授は、Harvard UniversityにおいてJulian Schwinger教授(Nobel laureate)の下で研究をしてPh.D.を取得し、その後、The Institute for Advanced Study at Princeton Univ.でポスト・ドクター(post doctor)研究を行った人である。

 更に、Merzbacher教授は、Institute for Theoretical Physics, Copenhagenで客員研究員として滞在していたことがあるが、そのときには、Niels Bohr(Nobel laureate)が不在で、彼の息子であるAage N. Bohr(Nobel laureate)らと研究をしたという。当時の理論物理学の世界における世界的に知られた物理学者との親交も多く、そのような話を聞いているだけでも楽しい時を過ごすことができた。

 この二人のHarvard出身の教授と、そして同じグループの他の大学院生と一緒にLenoir HallのカフェテリアやYMCA、或いはPhillips Hallのミーティング・ルームで軽い食事をしながら、或いはランチを食べながら、物理に関連した話題について話したり、原子衝突の研究について討論したりすることによって、いろいろスティミュレートされたことが多かった。これは、Julian SchwingerやNiels Bohrの手法でもあったように思う。彼らとの多くの対話は、生涯忘れることができないものである。

 冬期休暇および夏期休暇の間は、Prof. Shafrothの研究に従事することによりResearch Assistantshipを得ると共に「TUNL(Triangle Universities Nuclear Laboratory)」で加速器を利用した重イオンの原子衝突に関する研究に没頭した。

 「TUNL」は、隣町ダーラム(Durham)のDuke Universityのキャンパスにある加速器の研究施設である。この施設は、UNC、NCSU、そしてDukeの3つの大学が共同で使用する、D.O.E.(米国Department of Energy)の支援を受けている研究所である。「TUNL」には、タンデム型バン・デ・グラーフ型加速器("Tandem Van de Graaff Accelerator")を中心に、重イオンを加速するためのエネルギーを生成する装置、世界でも有数の偏向ビームの発生装置、多数のビーム・ライン施設、及び実験データ・アクエジション及びアナリシス用の計算機(DECのVAX)等の設備がある。

 私の研究は、WMU(Western Michigan University)でのundergraduate researchの続きで、タンデム型バン・デ・グラーフ型加速器を利用して、重イオンを加速し、ターゲットの原子に衝突させて、衝突における電子の挙動を研究することであり、主な作業は、衝突で得られたX線のスペクトルを解析することである。この解析により衝突によってどのような電子の遷移や励起が原子間で発生しているかを調べることである。

 実験は、平日や週末に係わりなく、昼夜を徹して数日間行われる。「TUNL」では、各実験グループがビームを利用できる時間や期間がそれぞれ限られているからである。制御室に実験データのログ・ノードを準備し、ビームのチャージ・ステートやターゲットの圧力、等の条件がその実験のスペック通り稼動しているかどうかを常にモニターで監視しながら、重イオン-原子衝突で得られたX線スペクトルを測定する作業を徹夜で行う。ときには、設定がうまくゆかず、数時間或いは数日の間、実験データを得ることができない場合もある。そのため、実験が軌道に乗ると、DECのコンピュータを介して磁気テープ(当時)にデータを記録し続ける。従って、実験中はそのほとんどが「TUNL」での生活となるので、ときどきアパートメントに帰宅する以外は、食事等もDuke Univ.のキャンパスにあるカフェテリアでとることになる。

 「TUNL」で実験があるときの楽しみの一つは、加速器の「子守り」の合間に、Duke Universityの「Duke Chapel」やキャンパスを歩いてしばしの休憩をとることである。Duke Universityのキャンパスは、Princeton Universityのそれを模したと言われているように、ゴシック建築風の美しい建物が立ち並んでいる。休憩時間に、この美しいDuke Universityの建築物を眺めながらキャンパスを散歩していると、このときばかりは、Duke Universityにも願書を出しておけばよかったと後悔する。

 実験との関係で、多電子原子モデルによる波動関数の近似解の解法の一つである「Hartree-Fock Approximation Method」(ハートリー-フォック近似法)の理論に興味を覚えた。これは、Phillips Hallに設置されているコンピュータ端末からUniversity of California Lawrence Livermore National Laboratoryに設置されているスーパー・コンピュータ(SC)に電話回線(当時)によりアクセスして、様々な条件を入力することによりターゲット原子のおよびイオン・ビーム(プロジェクタイル・イオン)に関する波動関数の近似解(即ち、ポテンシャルの近似値)を、SCに搭載されている計算ソフトを利用して、計算した。これにより、実験で得られたスペクトルに基づくエネルギー値と、計算式に基づくエネルギー値とを比較して、衝突においてどのようなelectron transition(s)やcapture(s)が実際に行われているのかを検討することができる。これは、Ph.D.の学生であったThomas(通称、トム)の協力の下で行った。しかし、H-F近似法で得られるポテンシャルは、あくまでも近似解なので、実験データを解析するときには、それなりに十分注意する必要がある。更に、イオン・ビームの衝突エネルギーが高くなればなる程、H-F近似法の解についても、何らかの修正が必要になると思われていた。

 Prof. Shafrothは、当時、Auger Electron Spectrometerを製造し、それを用いてheavy ions-atoms collisions後のAuger electron(s)の振舞いを研究することに全力を注いでいた。研究グループの一人の院生は、その製造でPh.D.を取得した。しかし、当時の私は、Auger Electron Spectrometerを設計して製造することに余り興味がなかった。

 私個人としては、重イオンの原子衝突の研究において、重イオンのビーム・ステートを完全に制御させること、そしてターゲット原子中の電子状態を正確に制御することができる方法がないかどうかということを考えていた。その解として、帰国した後に、Chapel Hillでお会いした理化学研究所の粟谷教授を訪問した際にいろいろ尋ねたときに、「ガス状ターゲットの方がピュリティーの維持が可能である」ということが分かった。ちなみに、粟谷教授は、Prof. Shafrothと同様、Nuclear PhysicsからAtomic Collision Physicsにその研究を移行した女性の方であり、University of Tokyoの御出身である。
 なお、帰国した後、ドイツのマックス・プランク研究所、日本の理化学研究所、米国のKSUでの研究、並びに世界各地での加速器を利用した原子衝突の研究が、重イオンと多電子原子との衝突における(Kシェル、Lシェルやそれよりも外殻の)電子のelectron transition(s)やcapture(s)の影響についても研究が進んでいることに気付いた。また、イオン・ビームのエネルギーも更に高くなってきていることに注目した。それは、まさに私が望んでいた「加速器を利用した相対性的な速度で加速された重イオンと多電子原子との原子衝突」における研究である。

大学院生活の思い出(1)



 「筑波大学 春日キャンパス」で開催されたKEK(高エネルギー加速器研究機構)主催の「公開講座」に参加した。キャンパスに到着した瞬間に「学生時代」へと気持ちが戻って行った。そして、The University of North Carolina at Chapel Hill (UNC-CH)で過ごした大学院での学生時代を思い出す。

 Cameron Avenue(キャメロン・アベニュー)でバスを降りて、大きな木々が生い茂り芝生が広がっているMcCorkle Placeの中を、ノスタルジックな街灯が適度な間隔で並んでいるレンガ敷の歩道を歩いて通り抜け、Department of Physics & Astronomyの教室があるPhillips Hallへ向かう。

 大学があるChapel Hill(チャペルヒル:訳して「教会の丘」)は、南部独特の、のどかな雰囲気があたりに立ち込めている。春先は、ここちよい風が、キャンパスの木立の中通り過ぎて行き、とても爽やかである。

 ダウンタウンにあるワッフル・ショップ"Ye Ole Waffle Shop"で朝食をとることにした。早朝にもかかわらず多くの人が忙しそうに食事をしている。主な客層は、教授や大学院生であり、カウンタ越しに客の注文を聞いては、新鮮な卵等を使って手際よくワーフルを焼く。このワッフル・ショップは、チャペルヒルで「私のお気に入り」となった最初の店だ。

 朝食を済ませ、木々が林立している公園のようなキャンパスを歩く。いつも思うのだが、レンガ敷の歩道やノスタルジックな街灯は、まるで小さなリベラル・アート・カレッジのキャンパスを歩いている雰囲気である。途中、キャンパスの中でも、私が大好きな建物の一つPerson Hallの脇を通ってPhillips Hallへ向う。時々、Old WellやYMCAに立ち寄ってからPhillips Hallに向かうこともある。

 キャンパスのブッショの近くや芝生では、ブルーと紺色の綺麗な「ブルージェイ」や真紅の「カーディナル」を見かける。また、キャンパスでは、独特の鳴き声を聞かせてくれる「モッキング・バード」の姿が非常に多い。

 チャペルヒルは、4月になると、ドッグウッド(アメリカンはなみずき)の薄ピンクや白の花そしてアゼリア(ツツジ)のショッキング・ピンクやホワイトの鮮やかな花がチャペルヒルのあちらこちらに見られるようになる。小鳥達の囀りも一段と賑やかになり、モッキング・バードの声が特に優しく囁きかけてくれる。キャメロン・アパートメントからキャンパスまでの散策は、この時期になると心がうきうきしてくる。また、時には「ブルーバード」や非常に小さい「イェローバード」(チッカディ)も見かける。バードウォッチングには、事欠かない。そして、いつも思うことは、「春は、チャペルヒルでは、勉強なんかしないで、のんびりしたい季節」ということである。

 アパートメントからキャンパスまでの散策コースは、主に二つあり、一つは、アパートの裏の林の中を通る小径である。もう一つは、家々の前を通る舗装されている路である。その時の気分でどの路を歩くのかを決めるが、舗装路の最短コースでも約40分は歩く。小径の方は、バタル・パーク(クリークが流れているところ)を散策したり寄り道したりすると2時間を費やしてしまう。ドッグウッドの季節には、小径の散歩が最高である。自然の中に咲くドッグウッドの白や薄ピンクの花のトンネルが小径を飾りつけてくれるからである。まだ、早春の頃には舗装路の散歩がよい。キャンパスまで歩いてくる途中の家の前庭には、私の大好きな黄水仙が咲いている。気分は爽快である。

 初夏になると、モアヘッド・プラネタリュームの前庭にあるバラ園のばらの花が芳しく咲き乱れる。私の好きなバラは、薄いピンク色の花を持つクィーン・エリザベスである。花自体も好きだがそれ以上にその香りが大好きである。また、夕方になるとMcCorkle Placeの芝生には、蛍が飛び交う光景が見られる。

 秋には、街の木々が紅葉して別世界になる。キャンパスまでの散歩は、まるで夢の楽園の中を歩いているような気分になる。チャペルヒルには「Southern Part of Heaven」というニックネームがある。春と秋のチャペルヒルには、よくマッチしたニックネームである。

 冬は、葉が落ちた木々が林立していて、ちょっと寒々しい景観となってしまうが、レンガ敷の歩道やノスタルジックな街灯が、キャンパスの風景に暖かさをもたらしている。
 
 大学院の仲間は、California Institute of Technologyを卒業してきた人、Harvard Universityを卒業してきた人、VMIを卒業してきた人、IBMからMSを取得するためにきた人、韓国からの留学生等、実にユニークであったように思う。

2009年11月2日月曜日

KEK 平成21年度公開講座(2)

2009年10月31日(土)
 キャンパスの木々の葉が秋色になり始めた「筑波大学 春日キャンパス」で、先々週に引き続いて、KEK(高エネルギー加速器研究機構)が主催する「公開講座」(2)に参加した。今日は、「物理」に直接関係する内容の講義なので楽しみだ。

講義内容
(1)「ビックバンの前を探る新しい宇宙観測」
高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 教授 羽澄 昌史
(2)「ブラックホールの熱力学と超弦理論」
高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 准教授  磯 暁

 前回と同様、講義の時間は、質疑応答の時間と休憩時間を含めて13:00~16:30の約3時間半の予定だったが、後半の講義が延び、17時近くまで質疑が続いた。2つの講義ともに内容的にかなり充実したもので、将来の物理研究の一端を知る思いであった。
 前回の公開講座(1)と同様、TPのプリントアウトが事前に配られ、講義は、そのTPの内容に沿って説明されるので、ノートを取る必要がない。今回の講座も両講師ともに日本及び世界におけるその道のエキスパートであり、充実した内容の、素晴らしい講義を行って下さった。

 羽澄教授は、1965年に偶然観測された「宇宙背景放射」(Cosmic Microwave Background Radiation)(光の化石)に基づいた宇宙の研究について、詳細に説明された。そして、「宇宙背景放射」(CMB)にまつわるこれまでの発見物語と、「チリ」の山頂でこれからはじまる新しい観測を紹介された。「宇宙背景放射」(CMB)により、どのような「物理的規則」に基づいて「宇宙」が137億年前に誕生したのか、というテーマを研究することは、大変に興味がある。今後は、観測衛星を打ち上げて、更なる実験を行ってゆく予定であるらしい。この研究も「ILC」プロジェクトと同様に、国際規模で「共同研究」として行われてゆくことを望む。

 磯准教授は、ブラックホールにエントロピーの概念を適用して、「ブラックホール熱力学」を一つの例として、「時空の熱統計的な性質」について、最近の超弦理論の発展と共に、最近の研究の一端を紹介された。大変に興味を覚えたのは、重力における係数、量子力学における係数、電磁気学における係数、そして、熱力学における係数をそれぞれ関連付けて説明されたことである。これは、私にとっても新しい物理へのアプローチの仕方であった。

 受講者の中に、中学生がいた。塾だけに通っていないで、最先端の物理・実験及び理論に興味を抱いている若い世代がいることに希望を感じた。