2009年12月14日月曜日

坂の上の雲(2)

              「秋山真之」の筆書の一つ:特別展@戦艦「三笠」より

2009年12月13日(日) 午前中、横須賀に行き、特別展「秋山真之と正岡子規」が行われている戦艦「三笠」を訪れた。

 特別展には、「秋山真之」の筆書が数点展示されていて、大変に興味を覚えた。

 一般に、「外交」の「政策」によって戦争は回避すべきであるが、「維新」直後から続く、「列強諸国」からの脅威、特に「帝政ロシア」や「中国・清」、によるに「日本国への侵略の恐れ」に対し、日本政府の「危機感」は、当時としては、「外交」の「政策」のみによって打破できるような状況ではなかったように思える。また、明治維新後、全ての点において弱小国であった「日本」は、第二次産業がまだ発達しておらず、経済力にも乏しく、「戦争」という手段を利用して、「日本」という国を外国に対して鼓舞するしかなかった状況であったと思われる。そのような状況下で、「日清・日露」戦争の時代が展開されて行く。

 今日のように、幾度となく繰り返された「悲惨な戦争」の結果として、各国が「戦争の愚かさ」を自覚し、「戦争」に突入する前に「外交」の「政策」を実行することにより、「平和裏」に「外交上の問題」を解決して行く、という「時代」ではなかった。

 帰宅後、NHKドラマスペシャル「坂の上の雲」(第3回放送)を見る。外交上、劣勢の立場に立たされていた当時の日本政府が、対外政策として、「戦争」という手段を選択せざるを得なかったことを十分考慮しながら、このドラマを観る必要があると思う。 「日清戦争」開戦時の「海軍」の「未熟な戦略」からも、国内の経済政策もおぼつかず、「国民の視点」を「海外」に向けさせる必要があった当時の日本政府の「焦り」を感じ取ることができる。どこか、「現在」と共通することが繰り返されているように思われるが。

 「戦争」は、絶対に反対であるが、「外交上の対応策」だけでは、もはや解決できないような「他国からの侵略の脅威」がある場合には、「戦争」という手段も止むを得ないであろう。但し、国を守るという「自衛」の手段としての「戦争」に対してだけである。「パレスチナ人」の家族と帰国の機内で出会い、その家族の中の女の子が「帰ることができる《母国》が無い」と言ったことがずっと心に残っているからである。

 ドラマと並行して、小説「坂の上の雲」第2巻を読み始めた。本の中では、既にいろいろな人物が登場してくる。

 「アメリカにおける秋山真之」(上・中・下)島田謹二・著(朝日文庫)を購入。小説「坂の上の雲」と併せて読んでいるが、なかなか面白い書である。

2009年12月8日火曜日

坂の上の雲(1)

戦艦『三笠』日露戦争終結直後に爆沈。浮揚後、佐世保工廠にて修理完了した姿(明治41年3月12日@佐世保)Mar.12,1908:Battleship "Mikasa" at Sasebo naval port

2009年12月7日(月)
 NHKドラマスペシャル「坂の上の雲」(第1回放送、第2回放送)を見る。

以前から興味を持っていた「日清・日露戦争」における日本軍の活躍。そして、小学生の頃に親に連れられて横須賀まで観に行った戦艦「三笠」。当時は、「船」、特に「戦艦」に大変興味があった。

 また、子供の頃に憧れた人物は、最強と言われたロシアの「バルチック艦隊」を打ち破った「東郷平八郎」、「乃木希典」、等の軍人であった。

 しかし、先日、戦艦「三笠」を訪れた折、この旗艦に乗船していた当時の仕官に関する資料を読んでいて、「秋山真之(さねゆき)」に興味を覚えた。そのときに「坂の上の雲」を読んでみたいと思ったものであるが、本を買わないままになってしまった。従って、「坂の上の雲」の主役である「秋山好古(よしふる)」及び「秋山真之」の兄弟については、あまり知らなかった。

 横須賀には、海軍料亭「小松」がある。ここには、「秋山真之」の筆書が残っている。いつか訪れてみたいと思っている。

 「坂の上の雲」は、「明治」という時代の背景を理解して、「正岡子規」の人生模様と共に、「日清・日露戦争」に関する資料を併せて、物語を読み解くと、より一層面白いと思う。特に、外国に出兵せざるを得なかった「明治維新」直後の「国内事情」(幕府の崩壊に伴う「武士階級」の生活の下落、等)を知ることが大切である。また、「富国強兵論」を推進した「山県有朋」、等の「明治維新」で活躍した人物についても調べると面白い。

 それにしても「正岡子規」の妹である「正岡律」という女性は、面白い性格の持ち主だ。台東区・根岸の「子規庵」で暮らしていたらしい。この近くの「芋坂」には「羽二重団子」がある。私の好きなお店の一つである。「子規」も幾度となく「羽二重団子」を食べ、また俳句にも歌っているが、そこでは「芋坂團子」と言っている。

 今日から文庫本「坂の上の雲」(文春文庫版)を読み始めた。やはり面白い。ドラマではかなりの部分が割愛されていることが分かる。また、「秋山真之」と「正岡律」との「心の触れ合い(恋愛的な感情)の場面」がドラマ化されているが、このような内容は、小説には書かれていない。

2009年12月1日火曜日

光源氏ものがたり

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。

 「光源氏ものがたり」(上・中・下)田辺聖子・著 (角川文庫版)
を読んでいる。

 どうも「源氏物語」を読もうと何度か試みたが完全には読破できないので、心残りであったところ、ちょうど近くの書店で偶然にこの本を見付けた。

 この本は、「源氏物語」のダイジェスト版とは異なり、「源氏物語」に登場するいろいろなタイプの女性を、田辺聖子さんの解説を通して、紫式部の視点から、物語の内容にあまり深入りすることなく、伺い知ることができるので、私の目的に叶っているものである。

 「源氏物語」に登場する女性の中では、かなり以前から、「明石の君」*(1)が私の女性の理想像であったが、この「光源氏ものがたり」を読むに従って、徐々に別の女性像もよいかもしれないと思うようになってきた。例えば、「紫の上」、等。従って、どの女性が最終的に私の理想像に近いのかは、全巻を読み終えたときに考えたいと思う。

 なお、「明石の君」は、花では「橘」に例えられている。因みに、「紫の上」は、「(樺)桜」の花、そして、「明石の女御」は、「藤」の花にそれぞれ例えられている。

 また、「明石の君」は、「琵琶」の名奏者でもあったが、当時はどのようなメロディーを「琵琶」で奏でたのであろうか。先日、「東慶寺」で聴いたような「琴」と「琵琶」の合奏のようなものであったのだろうか。そうであれば、なかなか美しい音楽である。

「むつごとを語りあはせむ人もがな 憂き世の夢もなかばさむやと」  (光源氏)
「明けぬ夜にやがてまどへる心には いづれを夢とわきて語らむ」   (明石の君)

*(1)「明石の君」は、紫式部の「源氏物語」に登場する架空の人物。光源氏の明石時代の愛人で、源氏の一人娘(のちの明石の中宮)を産んだ。父は源氏の母桐壷更衣の従兄弟にあたる明石の入道、母は明石の尼君。「明石の君」は、性格は生真面目で我慢強い。万事につけて出しゃばらず賢く振舞うが、気位が高い。皇女にも劣らない気品と美しさとを備え、和歌や音楽に才長け、特に、箏の琴、琵琶の名手でもある。

 「明石の中宮」(明石の姫君、明石女御とも)は、光源氏の長女で、母は「明石の君」。「紫の上」の養女となる。「宇治十帖」に登場する「匂宮」の母。