2009年6月22日月曜日

常楽寺

年へたる鶴の岡べの柳原
青みにけりな春のしるしに
                北条泰時

 JR「本郷台駅」で下車し、「旧鎌倉街道」沿いに「鎌倉」方面に向かって歩いて行き、信号機の「常楽寺」という標識で右折してから暫く歩くと、「常楽寺」の参道が右手に伸びている。

 この御寺の「山門」の屋根は、「茅葺」で、なかなか情緒がある。参拝する人をときどき見かけるが、観光客は、まずいない。「北鎌倉」の県道21号線「小袋谷」の交差点から歩いてもあまり距離がないのだが。

 「常楽寺」は、鎌倉の北西を守護する位置にあって、鎌倉幕府第三代の執権「北条泰時」*(1)公と、「建長寺」開山「大覚禅師(蘭渓道隆)」ゆかりの古刹。開創は、嘉禎三年(1237年)12月13日で、『吾妻鏡』によると、泰時公が妻の母の追善供養のため、山ノ内(当時の山内荘)の墳墓のかたわらに一つの梵宇を建立し、退耕行勇が供養の導師をつとめたとある。

 静かな境内には、「本尊阿弥陀三尊像」が祀られている「仏殿」(神奈川県指定の重要文化財)がある。この「仏殿」は、元禄四年(1691年)5月に建立されたもので、方三間(約5m)という小さい御堂ながら、鎌倉の近世禅宗様仏殿の代表的な建物の一つである。「仏殿」の天井には、「狩野雪信」(女性)筆の『雲竜』が描かれている。「狩野雪信」筆の天井絵は鎌倉にはほかにないので、特筆されるべき作品である。なお、「狩野雪信」は、「紫式部像」も描いている。

 御本尊の「木造阿弥陀三尊像」は、室町時代の作で、「観世音菩薩像」、「勢至菩薩像」と共に、なかなか優しい御顔をされた「阿弥陀如来像」が祀られている。この「阿弥陀如来像」は、「北条泰時」公が殊の外帰依されたものと言われている。

 「北条泰時」公の墓は「仏殿」の背後にあり、かたわらには鎌倉時代の高僧「大応国師(南浦紹明)」の墓もある。「北条泰時」公は、鎌倉幕府第三代の名執権である。

 「仏殿」の左側に隣接する「文殊堂(秋虹殿)」には、「木造文殊菩薩坐像」(神奈川県指定の重要文化財)が祀られている。「文殊菩薩坐像」は、鎌倉時代の作で、1月25日の「文殊祭」以外は開扉されない「秘仏」である。

 「色天無熱池」は「仏殿」の右奥にある。色天は欲界のよごれを離れた清浄な世界という意味であり、無熱池とは、徳が最もすぐれているとされる阿耨達(あのくだ)龍王が住み、炎熱の苦しみのない池のことをいう。

 「姫宮塚」は、「粟船山」の中腹に、「木曽塚」は、山頂にそれぞれあり、前者は、「泰時公の女」の霊を祀っており、後者は、「木曾義仲」の子息である「木曽義高」を祀っている。今日は、それぞれの塚に御参りしてきた。

 「常楽寺」は、小さな御寺であるが観るべきものも多く、御庭も小奇麗で、私の好きな鎌倉の御寺の一つである。

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