2009年6月17日水曜日

浄光明寺、佐助稲荷

2009年6月13日(土)
浄光明寺
 鎌倉駅西口から「長勝寺」の門前を通り、JRの踏み切りを渡り、やがてT字路を右に折れてしばらく川添えの小道を歩くと左手に「浄光明寺」の案内板があり、その少し先に「山門」が見えてくる。

 泉谷山「浄光明寺」は、泉ケ谷(扇ケ谷)の谷間に位置する真言宗の御寺。本山は、皇室御菩提所として知られる京都東山「泉涌寺」。創建は、建長三年(1251)で開基は武蔵守「北条長時」(鎌倉幕府第六代執権)、開山は「真阿和尚」(勅謚真聖国師)である。

 「山門」を入ると、すぐ左手に「楊貴妃観音」の石像が祀られている。これは、本山の京都東山「泉涌寺」に祀られている「楊貴妃観音」像に係わりがあるらしい。

 境内には「客殿」、「庫裏」、「不動堂」などがある。「不動堂」の手前には、ピンク色に近い薄紫色の花を付けた「紫陽花」が咲いていた。また、数は少ないが、あざやかな紫色の花の「花菖蒲」が「不動堂」の手前の一角に、更に白い花の「花菖蒲」が「不動堂」の裏側の一角にそれぞれ咲いていた。

 「庫裏」の右脇の階段の昇り口には、「今日は、阿弥陀三尊が拝観できます」との案内札が立っていたので、早速、階段を昇り、階段を上りきったところにある小屋で拝観料を払う。最初に、「収蔵庫」に祀られている「阿弥陀三尊」に参拝する。最初の印象は、これまでに鎌倉の寺院で拝観したどの「阿弥陀三尊」ともかなり趣が異なっていることであった。

 「阿弥陀三尊」の中尊である「阿弥陀如来」坐像は、「宋風」の創りで、胸前に両手を挙げる「説法印(上品中生印)」を結んでいる。「説法印」を結んでいる「阿弥陀如来」の像は大変に珍しいという。また、「阿弥陀如来」坐像の指先は細長く、その指先には爪の造形が施されており、鎌倉時代における高位の生身の人間の体形を具現化している独特な坐像であるという。

 「阿弥陀如来」坐像は、「宝冠」を着けているが、これは、江戸時代末期に着けられたものらしく、青銅製である。本来の「阿弥陀如来」座像は、「宝冠」が載せられていなかったが、「宝冠」を装着させたままにしてあるとのこと。

 私が好きな「阿弥陀如来」坐像としては、京都・大原「三千院」の極楽往生院に祀られているものがあるが、「浄光明寺」の「阿弥陀如来」坐像は、その御顔が「三千院」のそれよりもすっきりした形をされているものの、その眼は、魚眼が入れられていて、かなりはっきりと開いた状態のものである。

 「阿弥陀如来」坐像の「肩」、「袖」、「脚部」などには、「土紋」と称される、浮き彫り状の装飾が施されているが、これは鎌倉地方の仏像に特有の技法で、土を型抜きして花などの文様を表したものを貼り付けたものである。また、「衣文」にも他の「阿弥陀如来」像にはあまり見受けられない特徴がある。

 「阿弥陀如来」坐像及び「観音菩薩・勢至菩薩」坐像は、三尊とも「蓮華座」の上に置かれて祀られている。特に「阿弥陀如来」坐像が祭られている「蓮華座」は、実に素晴らしい創りで、「蓮」の「華」が幾重にも立体的に彫られていて「鎌倉彫」の「原点」とも言われている。

 「観音菩薩・勢至菩薩」坐像は、結跏趺坐(座禅の形)ではなく足をくずして坐り、中尊「阿弥陀如来」坐像の方に頭部をわずかに傾けて作られている。「観音菩薩・勢至菩薩」坐像の写実的な「衣文」表現や、生身の人間のような「面相」表現は、「阿弥陀如来」坐像以上に顕著な「宋風」であるらしい。「観音菩薩・勢至菩薩」坐像は、私が今迄観た「観音菩薩・勢至菩薩」像の中ではかなり傑出した坐像である。

 「浄光明寺」の「阿弥陀三尊」は、「覚園寺」の「薬師如来坐像」と同様に、「鎌倉時代の代表的な仏像」と評されている。

 「収蔵庫」には、上述した「阿弥陀三尊像」以外にも、「足利尊氏」の弟である「足利直義」の「念持仏」と言われている「矢拾地蔵尊像」が祀られている。「矢拾地蔵尊像」は、「収蔵庫」に左側の側壁に祀られていて、像を正面から見ることができない。鎌倉の寺院には、「地蔵尊像」が多く祀られているように思う。また、右側の側壁には、「仏舎殿」のようなものが置かれていた。

 本来、重要文化財の本尊「阿弥陀如来」坐像及び両脇侍「観音菩薩(向かって右側)・勢至菩薩(向かって左側)」坐像は、二階堂に在った「永福寺」から移された「阿弥陀堂」に祀られていた。しかし、本尊及び両脇侍ともに木造で正安元年(1299年)の作(但し作者不詳)で、創られてから既に「710年」の歳月が経過しているので、保存のために湿気や温度を調整する必要があり、そのために「収蔵庫」に保存されるようになった。「収蔵庫」は、由緒ある仏像を祀る場所としてはちょっとそっけない造りなので、御堂らしい装飾をその内部に施して「阿弥陀三尊像」を祀って欲しいと思う。

 「永福寺」から移された由緒ある「阿弥陀堂」には、現在、新しい如来像が三体祀られている。「過去・現在・未来」をそれぞれ表す三世仏「阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来」の像である。歴史が浅いという点を除けば、仏像としては、それぞれがなかなか立派な創りである。北鎌倉の「浄智寺」の「曇華殿」(仏殿)には、同様に、その御本尊として三世仏「阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来」の像が祀られている。

 「観音堂」には、「千手観音像」が祀られているが、「不動堂」に祀られている「不動明王像」と同様、残念ながら一般公開されていない。

 「阿弥陀堂」のさらに裏手の狭い階段を上った先の山上には「やぐら」があり、内部に「石造地蔵菩薩坐像」(通称網引地蔵)が安置されている。

 その「やぐら」からさらに登ったところには国の史跡に指定されている「冷泉為相」(れいぜいためすけ、鎌倉時代の歌人)の墓と言われている「宝筐印塔」がある。「藤原定家」の孫であり、「十六夜日記」の作者である「阿仏尼」の子息である、「冷泉為相」のお墓に御参りしたことは、大変感慨深いものがある。

 先日、「鎌倉文学館」で「阿仏尼」の「十六夜日記」のレプリカを見たが、その達筆な文字に魅了された。それ以来、「冷泉為相」に対しても興味を覚えた。

 「冷泉為相」のお墓がある場所からは、「泉ケ谷」の谷間が一望でき、飛んでいる「鳶」の姿をその上方から眺めることができる。

 「浄光明寺」を参拝して心が清められた後、直ぐに帰宅しようかと思ったが、まだ参拝したことがない「佐助稲荷神社」を訪れることにした。

 来た道を、「長勝寺」の門前を通り、「紀伊国屋鎌倉店」の角を右折して「鎌倉市役所前」に出たらそのまま直進し、「佐助トンネル」を通り抜け、「銭洗弁天・佐助稲荷」の案内板に沿って歩く。やがて、住宅街の中の道になる。

 静かな「佐助ヶ谷」に、初夏の訪れを告げる「時鳥」(ほととぎす)の鳴き声が木霊している。暫くその声に聞き惚れる。なんだか「鎌倉時代」にタイムスリップしたような感覚だ。

 「時鳥」の鳴き声は、自宅の近くや鎌倉の他の場所でも時々聞くことがあるが、あまり魅力的であるとは思えなかったので、今迄、和歌に頻繁に詠まれている程にはその鳴き声に感激することはなかった。

 しかし、「佐助ヶ谷」の「佐助稲荷」の谷間に木霊するその声を聞いたときに、「時鳥」の鳴き声の素晴らしさをやっと実感することができた。しばらく御社の近くの縁台に座りながら「時鳥」の鳴き声に聞き惚れてしまった。

 御社の近くには「やぐら」があり、そこには「湧き水」が湧いていた。その近くの岩壁には、可憐な「紫の花」が咲いていた。この可憐な花が「イワタバコ」であることを帰宅してから知った。「佐助稲荷」は、「イワタバコ」の隠れた名所でもあるらしい。

 御社の裏山の斜面には、紫色の「紫陽花」の花が咲いていて、とても綺麗である。どうやら「佐助稲荷」は、隠れた花の名所であるようだ。

  山路より出でてや来つる里ちかきつるが岡辺に鳴くほととぎす
冷泉為相
(藤谷和歌集)

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