2009年6月28日(日)
最近、古都「鎌倉」を散策するうちに、御寺で庭や花を眺めながら御茶を味わう楽しみを覚えてきた。
きっかけは、「北鎌倉」にある「東慶寺」で「紅白」の「梅の花」を眺めながら、茶室で御茶を味わったときであると思う。正式な茶室での御茶ではなかったが、生菓子を戴き、そして、御茶を味わうときに感じる「自然」からの語りかけが、私の心を和やかにさせてくれる。
そのような心の和みを生み出してくれる一連の「御茶」との出会いから、「茶道」に興味を覚えてきた。また、御茶のときに生菓子を味わう楽しみも「茶道」に興味を覚えた要因の一つである。例えば、北鎌倉では「こまき」、鎌倉では「美鈴」の生菓子が私の好みである。
最近読んだ、川端康成の小説「千羽鶴」は、「茶道」で用いられる「茶道具」(ここでは、主に「志野」の「茶碗」と「水差」)がややもすると、登場する人物よりも、主人公であるように思われる内容であったが、この小説が「茶道具」について勉強するきっかけとなった。
最近読んだ、川端康成の小説「千羽鶴」は、「茶道」で用いられる「茶道具」(ここでは、主に「志野」の「茶碗」と「水差」)がややもすると、登場する人物よりも、主人公であるように思われる内容であったが、この小説が「茶道具」について勉強するきっかけとなった。
「茶道具」に興味を覚えたのは、「茶道具」を通じてそれらを所持していた歴史上の人々との直接的な「繋がり」を感じるからである。例えば、「茶碗」、「茶入」、等は、実際にそのものを使用していたのであるから、ある意味で時空を越えてそれらの人々と「茶碗」、「茶入」、等を共有することになる。
そんな折、東京・日本橋「三井本館」の7階にある「三井記念美術館」で開催されている江戸時代の豪商「三井家」に伝わる「茶の湯」の名品を紹介する展覧会に、その最終日に行ってきた。
「三井家」の初代「三井高利」の子孫である三井11家のうち、北家、室町家、新町家に伝来する茶碗、茶入、花入、茶の湯釜、書画、等、約80点の「茶道具」を展示している。
展示品の中でも、特に私が興味を覚えたのは、日本に二つしか存在しない「国宝」の国産「茶碗」の一つを観ることにあった。
会場に入り、その優美な姿で多くの入場者の注目を集めているのが桃山時代に作られた「花入れ」である伊賀耳付花入「業平」。この「花入れ」は、室町家12代・三井高大の妻が、亡くなった夫をしのんで、平安時代の貴公子「在原業平」にちなんで命名したものであると言う。伊賀耳付花入「業平」を観た後は、会場も多少混雑しているので、他の展示品の観覧を後回しにして、早速、その御目当ての「国宝」の「志野茶碗 銘卯花墻」の展示されている場所に向かう。
「志野茶碗 銘卯花墻」は、室町家からの展示品であり、「織田有楽斎」(織田信長の実弟、1547~1621)が京都「建仁寺」境内に1618年頃に建てた茶室「如庵」の内部を復元した展示室を囲っているガラスから少し離れた位置の畳の上に、敷物に載せられて展示されていた。遠からず近からず、丁度よい位置に置かれている。
御目当ての「国宝 志野茶碗 銘卯花墻」には、一目見て魅せられてしまった。この茶碗を観る方向としては、正面と「如庵」の「躙口」(にじりぐち)からの方向との二方向である。正面からは、丸みを帯びて見えるが、躙口からは、「志野茶碗 銘卯花墻」の茶碗の横長方向の度合いが感じられて、その形もなかなか味わい深い茶碗のように思えた。ちょうど前日の土曜日に知人のところで「志野」を見せてもらったが、それを手に取ったときの感触を思い出してみた。「志野茶碗 銘卯花墻」の茶碗は、どのような感触があるのだろうか。
そんな折、東京・日本橋「三井本館」の7階にある「三井記念美術館」で開催されている江戸時代の豪商「三井家」に伝わる「茶の湯」の名品を紹介する展覧会に、その最終日に行ってきた。
「三井家」の初代「三井高利」の子孫である三井11家のうち、北家、室町家、新町家に伝来する茶碗、茶入、花入、茶の湯釜、書画、等、約80点の「茶道具」を展示している。
展示品の中でも、特に私が興味を覚えたのは、日本に二つしか存在しない「国宝」の国産「茶碗」の一つを観ることにあった。
会場に入り、その優美な姿で多くの入場者の注目を集めているのが桃山時代に作られた「花入れ」である伊賀耳付花入「業平」。この「花入れ」は、室町家12代・三井高大の妻が、亡くなった夫をしのんで、平安時代の貴公子「在原業平」にちなんで命名したものであると言う。伊賀耳付花入「業平」を観た後は、会場も多少混雑しているので、他の展示品の観覧を後回しにして、早速、その御目当ての「国宝」の「志野茶碗 銘卯花墻」の展示されている場所に向かう。
「志野茶碗 銘卯花墻」は、室町家からの展示品であり、「織田有楽斎」(織田信長の実弟、1547~1621)が京都「建仁寺」境内に1618年頃に建てた茶室「如庵」の内部を復元した展示室を囲っているガラスから少し離れた位置の畳の上に、敷物に載せられて展示されていた。遠からず近からず、丁度よい位置に置かれている。
御目当ての「国宝 志野茶碗 銘卯花墻」には、一目見て魅せられてしまった。この茶碗を観る方向としては、正面と「如庵」の「躙口」(にじりぐち)からの方向との二方向である。正面からは、丸みを帯びて見えるが、躙口からは、「志野茶碗 銘卯花墻」の茶碗の横長方向の度合いが感じられて、その形もなかなか味わい深い茶碗のように思えた。ちょうど前日の土曜日に知人のところで「志野」を見せてもらったが、それを手に取ったときの感触を思い出してみた。「志野茶碗 銘卯花墻」の茶碗は、どのような感触があるのだろうか。
銘の「卯花墻」は、茶碗の胴に施された「四つ目垣の文様」を見て、「片桐石州」が「やまさとのうのはなかきのなかつみち、ゆきふみわけしここちこそすれ」と筆した古歌に由来する。その古歌の小色紙が、箱の蓋裏に貼りつけられていたのでこの銘がある。
因みに、「うのはな」(卯花)は、見た目が雪のようなので「雪見草」(ゆきみぐさ)とも呼ばれている。花言葉は「謙虚」。この国宝の国産茶碗に相応しい花言葉である。
やはりどのような道具でも、使ってみなければそれが持つ真の味わいを楽しむことはできないと思う。「志野茶碗 銘卯花墻」は、茶室「如庵」を模した展示室に置かれていて、その内装との調和が素晴らしいと思った。「仏像」を参拝するときに、それらが祀られているお寺で拝観するのが最も素晴らしいのと同じであると思う。因みに、犬山市に存在している本物の茶室「如庵」も「国宝」である。
なお、茶室「如庵」を模した展示室には、掛け軸として、一山一寧筆の「一山一寧墨蹟」が展示されていた。「花入」に季節の花が飾られていれば、殊の外素晴らしい雰囲気だったように思えたのだが。
その他の展示品としては、「表千家」とゆかりのある北家からも数々の名品が展示されている。
特筆すべきは、大名物 唐物肩衝(からものかたつき)茶入「北野肩衝」(重要文化財)。茶入「北野肩衝」は、三井家に数多く伝承されている茶道具の中でも、稀代の名品とされている。足利義満、義政など足利将軍家の所蔵品を伝承する「東山御物」の一つに数えられていた。その後、天正15(1587)年に、史上最も名高い「北野大茶会」が開かれた折に出品され、「豊臣秀吉」の目に留まったという。三井家が「北野肩衝」を手に入れたのは江戸時代中期になってからのことで、現在では「三井記念美術館」の「名宝」として所蔵されている。伝来は、足利義政~三好宗三~津田宗達~烏丸大納言~三木権太夫~三井八郎右衛門~三井宗六~酒井忠義。そして三井記念美術館。
そして、「本阿弥光悦」が作った黒楽茶碗「雨雲」(重要文化財)も北家からの一つである。「本阿弥光悦」の茶碗としては、もう一つの国産茶碗の「国宝」である「国宝 白楽茶碗 銘不二山」が有名であるが、この黒楽茶碗「雨雲」もなかなか魅力的な茶碗で、口端が鋭く、腰に膨らみがあり、そして高台が低く小さく削られていて、御茶を美味しく戴けそうな形をしている。また、口まわり、等は、釉掛りが薄いという特徴を有している。
「黒楽茶碗 銘俊寛 長次郎作」(重要文化財:桃山時代・16世紀 室町三井家旧蔵)。これは、「千利休」が薩摩の門人から「長次郎」の茶碗を求められ、3碗送ったうち、この茶碗を残し他の2碗が送り返されてきたので、鬼界ヶ島に残された「俊寛僧都」に見立てて命銘したという。「長次郎」の代表作の一つ。
掛け軸として、「六祖破経図 梁楷筆 大名物」(ろくそはきょうず・りょうかいひつ・おおめいぶつ)が展示品として目に留まった。梁楷(生歿年不詳)は中国南宋時代の画家。人物画や山水画を得意とした。日本では室町時代以降、牧谿や玉澗とならび、もっとも尊重された中国画家の一人である。本図は、禅宗の第六祖惠能(638~713)が経典を破る姿を描いている。「豊臣秀吉」、「西本願寺」の所蔵を経た後、「松平不昧」へと伝わった。その後、昭和7年(1932)に出雲松平家より新町三井家の所有となった。
また、「織部焼」で知られている古田織部が書いたものの「消息 修理宛」の「掛け軸」が気になった。それは、「千利休」の弟子でもあり、優れた茶人としての「織部」その人に対する興味なのかもしれない。
今回の「展示」で感じたことは、確かに「茶道具」は美しいが、それらを使ってこそ、「茶道具」が醸し出す「本当の美」(機能美を含む)を堪能することができるのではないのかということだ。それは、私が「茶道」を嗜んでみればより理解することができると思う。
そして、「本阿弥光悦」が作った黒楽茶碗「雨雲」(重要文化財)も北家からの一つである。「本阿弥光悦」の茶碗としては、もう一つの国産茶碗の「国宝」である「国宝 白楽茶碗 銘不二山」が有名であるが、この黒楽茶碗「雨雲」もなかなか魅力的な茶碗で、口端が鋭く、腰に膨らみがあり、そして高台が低く小さく削られていて、御茶を美味しく戴けそうな形をしている。また、口まわり、等は、釉掛りが薄いという特徴を有している。
「黒楽茶碗 銘俊寛 長次郎作」(重要文化財:桃山時代・16世紀 室町三井家旧蔵)。これは、「千利休」が薩摩の門人から「長次郎」の茶碗を求められ、3碗送ったうち、この茶碗を残し他の2碗が送り返されてきたので、鬼界ヶ島に残された「俊寛僧都」に見立てて命銘したという。「長次郎」の代表作の一つ。
掛け軸として、「六祖破経図 梁楷筆 大名物」(ろくそはきょうず・りょうかいひつ・おおめいぶつ)が展示品として目に留まった。梁楷(生歿年不詳)は中国南宋時代の画家。人物画や山水画を得意とした。日本では室町時代以降、牧谿や玉澗とならび、もっとも尊重された中国画家の一人である。本図は、禅宗の第六祖惠能(638~713)が経典を破る姿を描いている。「豊臣秀吉」、「西本願寺」の所蔵を経た後、「松平不昧」へと伝わった。その後、昭和7年(1932)に出雲松平家より新町三井家の所有となった。
また、「織部焼」で知られている古田織部が書いたものの「消息 修理宛」の「掛け軸」が気になった。それは、「千利休」の弟子でもあり、優れた茶人としての「織部」その人に対する興味なのかもしれない。
今回の「展示」で感じたことは、確かに「茶道具」は美しいが、それらを使ってこそ、「茶道具」が醸し出す「本当の美」(機能美を含む)を堪能することができるのではないのかということだ。それは、私が「茶道」を嗜んでみればより理解することができると思う。