2009年6月22日月曜日

大長寺

 今日もどこを散策しようか迷ったが、結局、JR「本郷台駅」で下車し、「鎌倉女子大学」前から「旧鎌倉街道」を通り「北鎌倉」を目指して歩くことにした。

 最初の目的地、岩瀬にある浄土宗亀鏡山護国院「大長寿寺」、通称「大長寺」を訪れた。この御寺は、「徳川家康」とも縁があり、鎌倉の御寺としては、「鎌倉幕府」と直接係わりが無いこともあってか、あまり観光客がいないので静かな雰囲気が漂っており、私の好きな御寺の一つでもある。

 「大長寺」は、もと京都「知恩院」末寺、開祖は、小田原北條氏(後北条)の「北条綱成」で、天文17年(1548年)5月の創建である。

 元の寺号「大頂寺」は、当寺の開基「北条綱成」の奥方(北条氏綱の娘)の戒名「大頂院殿」からきていたが、「徳川家康」公が「山号」が『亀鏡山』なら『大長寺』が似合う」といって寄進状に「大長寺」と書いたことから寺名が改まったと伝えられている。なお、「大頂院殿」のお墓は、本堂の裏山に続く境内にある「北条一族の墓」の中にある「自然石の墓標」のものであると伝えられている。先日、訪れた時に参拝してきた。

 銅葺き屋根の「三門」をくぐり、古びた「石段」を登ると、右手には、ちょっと一部が変色しているが、なかなか丹精な顔立ちの「観音菩薩」の石像がある。また、「石段」を登った左手には「宝蔵」がある。ここには、「徳川家康」公とその父「松平廣忠」の位牌が祀られているという。

 正面には、本尊「阿弥陀如来像」を安置する「本堂」が聳えている。「本堂」の後方一帯を取囲む山々には杉が鬱蒼と生い茂っている。今日は、「本堂」に上り、扉を開けて前回拝顔することができなかった「阿弥陀如来像」を参拝することができた。

 

0 件のコメント: