平成24年4月21日(土)
東京大学 一般公開講座 平成24年4月21日(土) 第3講義
講師: 福島 智
東京大学 先端科学技術研究センター バリアフリー分野 教授
講義配布資料
1.私の障害体験
私は9歳で失明し、18歳で失聴した全盲ろう者です。
今から31年前、18歳で全盲の状態から盲ろう者になった私にとって最も大きな苦痛だったことは、見えない、聞こえないということそのものではなく、他者とのコミュニケーションが消えてしまったことでした。
私は絶望の状態にありましたが、その暗黒と静寂の牢獄から解放される時がやってきました。
その「解放」のカギを握っていたのは、読書や文通などの文字による情報のやり取りではなく、たとえ些細なことであっても、「生身の人間と関わる直接的なコミュニケーション」でした。
2.豊かなコミュニケーションを求めて
つまり、私を最後の一線で救ったものは、他者との相互的なコミュニケーションだったわけです。
「コミュニケート」の語源はラテン語のコミュニカーレ(communicare)だと言われます。コミュニカーレは、単なる「情報の伝達」だけではなく、「理解し合う」「共に何かを行う」といった意味もあると言われます。
コミュニケーションの問題を考えるときは、このコミュニカーレの意味を尊重すべきなのではないでしょうか。
3.人生の豊かさは語り合いから
一人ひとりの人間が生きていく上での「人生の条件」(いわば「グラウンド・コンディション」)には、さまざまなものがあります。「障害」もその一つです。
たとえば、「草野球」のイメージを例にとりますと、グラウンド・コンディションにハンディがあるとき、そこでのプレイを生き生きとさせる上での重要な要素の一つは、チームメイトや相手チーム、冷やかしの観衆も含めた周囲の人とのコミュニケーションなのではないでしょうか。また、どれほど優れた選手でも一人では試合ができないのと同じように、他者との関わりが人生の土台だと思います。
4.ヴィクトール・フランクルにおける「苦悩」の意味
ヴィクトール・フランクルは、その著書『意味への意思』の中で次のような図式を示しています。
「絶望」=「苦悩」-「意味」
この図式について考えてみます。
まず、この「方程式」の両辺をいじりますと、
「意味」=「苦悩」-「絶望」となります。
「絶望」は、「希望」の反意語なので、「マイナス(-)希望」だと考えると、最終的にこの図式は、
「意味」=「苦悩」+「希望」となります。
5.ヘレン・ケラーから学んだこと
2011年10月、私は米国・アラバマ州にあるヘレン・ケラーさんの生家を訪ねました。そこで実感したことがあります。
第一は、「ことばは体験から生まれる」ということであり、
第二は、「知性は愛情に裏打ちされたことばのやり取りから生まれる」ということです。
詩:指先の宇宙
ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指が触れたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに
福島 智
講義の聞き取りノート:(S2)
アラブ首長国連邦ドバイ空港での話し
TOTO製のトイレ
点字で「日本語」表示があった
元々の点字は、「書きことば」
自分から話すことはできたが、コミュニケートが不便
相手の言っていることが理解できないことが問題
点字を紙に書いてもらい、それに対して声で答えていたが、時間が掛かった。
指点字は、「母親」が咄嗟に思い付いた。その場所は台所だったから点字がなかったので。
智さんが母親に「文句」を言っていたから、母親が智さんの指にタッチしただけ(マスメディアが風潮しているような「神の思い付き」では決してない)。
実際、母親と話しができても、あまり嬉しくなかった。
しかし、「指点字」が素晴らしい発見であったことが後になって判った。
「指点字」によって「世界」が開けた。
文字情報だけでもだめだと思う。心が癒されない。文字だけでは、乾いた関係になってしますから。
「人」と「コミュニケート」することが大事!同じような状態の人々の間では、世界的に共通。
指点字では情報が少ないのではないか、という疑問について
指点字では、声のような抑揚もないし、男女の区別もできない。
では、相手のことをどうやって理解するのか。
奥さんの顔も知らない(奥さんは、智さんに「押しまくられて結婚した」との弁)。しかし、「コミュニケーション」によって「人間」が創られてゆく → 見えなくても、聞こえなくても、相手を理解することができる。
授業では、学生にも「発言」することを求めている。それが「コミュニケーション」であるから。
苦悩の過程@18歳
日記、ノート等を書いていた
結論→自分を納得なせた。
悩みは、海の底まで沈むことを意味する。しかし、一度、海の底に到達してしまえば、それ以降は、浮上するのみ。
Impression
「福島 智」-強烈に印象に残った人物の一人である。
ヘレン・ケラーの「闇から光へ」という著書は、20歳の頃に読んだことがある。また、先日(平成24年2月29日(水)NHKのTVでも「ヘレン・ケラー」について放送があった(NHK歴史秘話ヒストリア「ニッポン大好き!がんばって!~ヘレン・ケラー 日本との友情物語~」)。
しかし、実際に「全盲ろう者」の方にお会いしてお話を伺ったのは、今回の講演(東京大学一般公開講座平成24年4月21日(土)第3講義)が初めてだった。
まず、「全盲ろう者」が置かれている「環境」について、私にはその実感が湧かない。目が見えず、音も聞こえないという「環境」は、想像を絶するものがあると思う。
私がその立場になったならば、即ち、青春を謳歌しようとしている18歳の時に、彼のように「全盲ろう者」になったならば、彼のように強くかつ逞しく生きて行けるだろうか、と疑問に思った。
米国の「ミシガン大学」で「英語」を学んでいたとき、キャンパスを歩いていたら、直ぐ近くで「バサッ」という大きな音がしたので振り返ったら、目が不自由な女子学生が、持っていたものを落とした様子だった。すぐに近寄って落ちているものを拾うのを手伝ったら、「点字」で書かれていた教科書だった。それが「点字」の教科書と出会った最初であった。
それまで、「盲人」の「大学生」が存在することすら認識していなかった自分に恥じた。彼らがあんなに努力しているのだから、五体満足でいられる自分は、もっと努力すべきだと、そのとき痛感した。
彼らは、我々と比較して、肉体的ハンディキャップを有するだけでなく、それに伴う、より深刻な精神的ハンディキャップを持っているのだろうと思う。