Research at The University of North Carolina at Chapel Hill
Prof. Steve M. Shafrothは、UNCにおけるAtomic Collisionの実験Groupのリーダであり、私のMaster's Research の指導教授である。
Prof. Shafrothは、WMUの曽我教授とThe Bartol Research Foundation in Swarthmore, PA.で研究室が隣接していたこと、そして同じ「原子核物理」の研究者だったことがある。また、WMUのProf. TanisのUNCにおけるPost Doctor研究の指導者でもあった。
Prof. Shafrothの下でUNCで最初にPh.D.を取得したBarney L. Doyle (Manager, Ion Solid Interactions and Defect Physics Department, Sandia National Laboratory)が書いたProf. Shafrothのプロフィールを以下に示す:
Prof. Shafrothは、1947年にHarvard CollegeからB.A.の学位をCum Laudeの優等で取得し、その後、1953年にJohns Hopkins Universityの大学院でStanley S. Hanna教授(後にStanford University教授)の指導の下で原子核物理学を専攻してPh.D.を取得する。また、同大学院でピエール・マリー・キュリー大学(パリ第6大学)からフルブライト奨学生として留学していた数学を専攻するChantal夫人と出会った。Ph.D.を取得した後、シカゴ郊外にあるNorthwestern Universityで講師及び助教授として5年間を過した。その間、5MV垂直式バン・デ・グラーフ型加速器を構築することによって加速器の魅力に捕りつかれてイオン誘起ガンマ線物理における輝かしい経歴が始まった。また、彼は、超伝導の鉛における陽電子の対消滅について研究した。それに続き、中性子、6Li及び7Liの入射粒子を含む核反応に対するNaI検出器の応答を研究するために、9ヶ月間をフランスのSaclayで過ごした。次に、Bartolで1960年から7年間研究を行なった。そこでは、magic 50の中性子核89Yの構造に関する研究、及びアイソバリックアナログと巨大双極子共鳴との間の干渉に関する非常に優れた研究を含むガンマ線の生成の研究を継続して行なった。その間、Temple Universityで講師及び米国海軍研究試験所(NRL:NAVAL RESEARCH LABORATORY)でカウンセラーとしても活躍した。1967年にUNC-CHに移り、Si (Li) X線分光器の発明によって誘発された加速器を利用した原子物理学の復興の立役者の一人になった。TUNLで行なわれたこの研究は、まず内殻イオン化現象を含み、そして後に多重イオン化及びX線サテライト、ハイパーサテライト、及び2電子1光子遷移の生成の研究に発展した。1970年代の後半に、UNCの彼の研究グループは、Radiative Electron Capture(REC)のような入射X線現象に集中していた。この研究は、1980年代に、彼のグループは、恒星及び熱核融合プラズマの研究においてかなり重要であるプロセス、Resonant (及びNonresonant) Transfer and Excitation (RTE)、を発見するに到った。UNCに在職中、彼は、サバティカルでフランスのパリにあるInstitute du Radium, 日本の和光市にある理化学研究所、及び米国オークリッジ国立研究所(ORNL)で研究を行なった。彼は、1980年より研究及び産業における加速器応用の協議会の組織委員会のメンバーであり、1978よりAtomic Data and Nuclear Data Tablesの共同編集者であり、米国物理学会(APS)のFellow(フェロー)であり、100以上の論文を投稿している。彼の優れた実績を表すその他のものは、これらの論文における120以上の異なる共同研究(素粒子物理ではなく原子/原子核物理であるという点に注目)を行なっており、且つ18の異なる加速器で研究を行なっている、という事実である。彼の業績は、事実、科学的発見及び理解によって優れたものであると同時に、原子核及び原子物理に対する彼の最も重要な寄与は、彼の科学に対するアプローチの独自な謳歌にあると私は思う。研究に対する彼の愛情は、感染しやすく、彼の学生、ポストドック、及び同僚でさえも、仕事や科学的アプローチを形作って行くことにおいて重要や役割を演じている。また、教育者として、彼は、いつも大変心が広く且つ学生の考えを支持し、また、学生が何かを発見しやすい大学/実験室環境を生み出す能力を有している。
UNCにおけるAtomic Collisionの理論Groupのリーダは、原子衝突理論物理学の世界的権威者の一人Kenan ProfessorのEugen Merzbacher教授である。
Merzbacher教授は、Harvard UniversityにおいてJulian Schwinger教授(Nobel laureate)の下で研究をしてPh.D.を取得し、その後、The Institute for Advanced Study at Princeton Univ.でポスト・ドクター(post doctor)研究を行った人である。
更に、Merzbacher教授は、Institute for Theoretical Physics, Copenhagenで客員研究員として滞在していたことがあるが、そのときには、Niels Bohr(Nobel laureate)が不在で、彼の息子であるAage N. Bohr(Nobel laureate)らと研究をしたという。当時の理論物理学の世界における世界的に知られた物理学者との親交も多く、そのような話を聞いているだけでも楽しい時を過ごすことができた。
この二人のHarvard出身の教授と、そして同じグループの他の大学院生と一緒にLenoir HallのカフェテリアやYMCA、或いはPhillips Hallのミーティング・ルームで軽い食事をしながら、或いはランチを食べながら、物理に関連した話題について話したり、原子衝突の研究について討論したりすることによって、いろいろスティミュレートされたことが多かった。これは、Julian SchwingerやNiels Bohrの手法でもあったように思う。彼らとの多くの対話は、生涯忘れることができないものである。
冬期休暇および夏期休暇の間は、Prof. Shafrothの研究に従事することによりResearch Assistantshipを得ると共に「TUNL(Triangle Universities Nuclear Laboratory)」で加速器を利用した重イオンの原子衝突に関する研究に没頭した。
「TUNL」は、隣町ダーラム(Durham)のDuke Universityのキャンパスにある加速器の研究施設である。この施設は、UNC、NCSU、そしてDukeの3つの大学が共同で使用する、D.O.E.(米国Department of Energy)の支援を受けている研究所である。「TUNL」には、タンデム型バン・デ・グラーフ型加速器("Tandem Van de Graaff Accelerator")を中心に、重イオンを加速するためのエネルギーを生成する装置、世界でも有数の偏向ビームの発生装置、多数のビーム・ライン施設、及び実験データ・アクエジション及びアナリシス用の計算機(DECのVAX)等の設備がある。
私の研究は、WMU(Western Michigan University)でのundergraduate researchの続きで、タンデム型バン・デ・グラーフ型加速器を利用して、重イオンを加速し、ターゲットの原子に衝突させて、衝突における電子の挙動を研究することであり、主な作業は、衝突で得られたX線のスペクトルを解析することである。この解析により衝突によってどのような電子の遷移や励起が原子間で発生しているかを調べることである。
実験は、平日や週末に係わりなく、昼夜を徹して数日間行われる。「TUNL」では、各実験グループがビームを利用できる時間や期間がそれぞれ限られているからである。制御室に実験データのログ・ノードを準備し、ビームのチャージ・ステートやターゲットの圧力、等の条件がその実験のスペック通り稼動しているかどうかを常にモニターで監視しながら、重イオン-原子衝突で得られたX線スペクトルを測定する作業を徹夜で行う。ときには、設定がうまくゆかず、数時間或いは数日の間、実験データを得ることができない場合もある。そのため、実験が軌道に乗ると、DECのコンピュータを介して磁気テープ(当時)にデータを記録し続ける。従って、実験中はそのほとんどが「TUNL」での生活となるので、ときどきアパートメントに帰宅する以外は、食事等もDuke Univ.のキャンパスにあるカフェテリアでとることになる。
「TUNL」で実験があるときの楽しみの一つは、加速器の「子守り」の合間に、Duke Universityの「Duke Chapel」やキャンパスを歩いてしばしの休憩をとることである。Duke Universityのキャンパスは、Princeton Universityのそれを模したと言われているように、ゴシック建築風の美しい建物が立ち並んでいる。休憩時間に、この美しいDuke Universityの建築物を眺めながらキャンパスを散歩していると、このときばかりは、Duke Universityにも願書を出しておけばよかったと後悔する。
実験との関係で、多電子原子モデルによる波動関数の近似解の解法の一つである「Hartree-Fock Approximation Method」(ハートリー-フォック近似法)の理論に興味を覚えた。これは、Phillips Hallに設置されているコンピュータ端末からUniversity of California Lawrence Livermore National Laboratoryに設置されているスーパー・コンピュータ(SC)に電話回線(当時)によりアクセスして、様々な条件を入力することによりターゲット原子のおよびイオン・ビーム(プロジェクタイル・イオン)に関する波動関数の近似解(即ち、ポテンシャルの近似値)を、SCに搭載されている計算ソフトを利用して、計算した。これにより、実験で得られたスペクトルに基づくエネルギー値と、計算式に基づくエネルギー値とを比較して、衝突においてどのようなelectron transition(s)やcapture(s)が実際に行われているのかを検討することができる。これは、Ph.D.の学生であったThomas(通称、トム)の協力の下で行った。しかし、H-F近似法で得られるポテンシャルは、あくまでも近似解なので、実験データを解析するときには、それなりに十分注意する必要がある。更に、イオン・ビームの衝突エネルギーが高くなればなる程、H-F近似法の解についても、何らかの修正が必要になると思われていた。
Prof. Shafrothは、当時、Auger Electron Spectrometerを製造し、それを用いてheavy ions-atoms collisions後のAuger electron(s)の振舞いを研究することに全力を注いでいた。研究グループの一人の院生は、その製造でPh.D.を取得した。しかし、当時の私は、Auger Electron Spectrometerを設計して製造することに余り興味がなかった。
私個人としては、重イオンの原子衝突の研究において、重イオンのビーム・ステートを完全に制御させること、そしてターゲット原子中の電子状態を正確に制御することができる方法がないかどうかということを考えていた。その解として、帰国した後に、Chapel Hillでお会いした理化学研究所の粟谷教授を訪問した際にいろいろ尋ねたときに、「ガス状ターゲットの方がピュリティーの維持が可能である」ということが分かった。ちなみに、粟谷教授は、Prof. Shafrothと同様、Nuclear PhysicsからAtomic Collision Physicsにその研究を移行した女性の方であり、University of Tokyoの御出身である。
なお、帰国した後、ドイツのマックス・プランク研究所、日本の理化学研究所、米国のKSUでの研究、並びに世界各地での加速器を利用した原子衝突の研究が、重イオンと多電子原子との衝突における(Kシェル、Lシェルやそれよりも外殻の)電子のelectron transition(s)やcapture(s)の影響についても研究が進んでいることに気付いた。また、イオン・ビームのエネルギーも更に高くなってきていることに注目した。それは、まさに私が望んでいた「加速器を利用した相対性的な速度で加速された重イオンと多電子原子との原子衝突」における研究である。
Prof. Steve M. Shafrothは、UNCにおけるAtomic Collisionの実験Groupのリーダであり、私のMaster's Research の指導教授である。
Prof. Shafrothは、WMUの曽我教授とThe Bartol Research Foundation in Swarthmore, PA.で研究室が隣接していたこと、そして同じ「原子核物理」の研究者だったことがある。また、WMUのProf. TanisのUNCにおけるPost Doctor研究の指導者でもあった。
Prof. Shafrothの下でUNCで最初にPh.D.を取得したBarney L. Doyle (Manager, Ion Solid Interactions and Defect Physics Department, Sandia National Laboratory)が書いたProf. Shafrothのプロフィールを以下に示す:
Prof. Shafrothは、1947年にHarvard CollegeからB.A.の学位をCum Laudeの優等で取得し、その後、1953年にJohns Hopkins Universityの大学院でStanley S. Hanna教授(後にStanford University教授)の指導の下で原子核物理学を専攻してPh.D.を取得する。また、同大学院でピエール・マリー・キュリー大学(パリ第6大学)からフルブライト奨学生として留学していた数学を専攻するChantal夫人と出会った。Ph.D.を取得した後、シカゴ郊外にあるNorthwestern Universityで講師及び助教授として5年間を過した。その間、5MV垂直式バン・デ・グラーフ型加速器を構築することによって加速器の魅力に捕りつかれてイオン誘起ガンマ線物理における輝かしい経歴が始まった。また、彼は、超伝導の鉛における陽電子の対消滅について研究した。それに続き、中性子、6Li及び7Liの入射粒子を含む核反応に対するNaI検出器の応答を研究するために、9ヶ月間をフランスのSaclayで過ごした。次に、Bartolで1960年から7年間研究を行なった。そこでは、magic 50の中性子核89Yの構造に関する研究、及びアイソバリックアナログと巨大双極子共鳴との間の干渉に関する非常に優れた研究を含むガンマ線の生成の研究を継続して行なった。その間、Temple Universityで講師及び米国海軍研究試験所(NRL:NAVAL RESEARCH LABORATORY)でカウンセラーとしても活躍した。1967年にUNC-CHに移り、Si (Li) X線分光器の発明によって誘発された加速器を利用した原子物理学の復興の立役者の一人になった。TUNLで行なわれたこの研究は、まず内殻イオン化現象を含み、そして後に多重イオン化及びX線サテライト、ハイパーサテライト、及び2電子1光子遷移の生成の研究に発展した。1970年代の後半に、UNCの彼の研究グループは、Radiative Electron Capture(REC)のような入射X線現象に集中していた。この研究は、1980年代に、彼のグループは、恒星及び熱核融合プラズマの研究においてかなり重要であるプロセス、Resonant (及びNonresonant) Transfer and Excitation (RTE)、を発見するに到った。UNCに在職中、彼は、サバティカルでフランスのパリにあるInstitute du Radium, 日本の和光市にある理化学研究所、及び米国オークリッジ国立研究所(ORNL)で研究を行なった。彼は、1980年より研究及び産業における加速器応用の協議会の組織委員会のメンバーであり、1978よりAtomic Data and Nuclear Data Tablesの共同編集者であり、米国物理学会(APS)のFellow(フェロー)であり、100以上の論文を投稿している。彼の優れた実績を表すその他のものは、これらの論文における120以上の異なる共同研究(素粒子物理ではなく原子/原子核物理であるという点に注目)を行なっており、且つ18の異なる加速器で研究を行なっている、という事実である。彼の業績は、事実、科学的発見及び理解によって優れたものであると同時に、原子核及び原子物理に対する彼の最も重要な寄与は、彼の科学に対するアプローチの独自な謳歌にあると私は思う。研究に対する彼の愛情は、感染しやすく、彼の学生、ポストドック、及び同僚でさえも、仕事や科学的アプローチを形作って行くことにおいて重要や役割を演じている。また、教育者として、彼は、いつも大変心が広く且つ学生の考えを支持し、また、学生が何かを発見しやすい大学/実験室環境を生み出す能力を有している。
UNCにおけるAtomic Collisionの理論Groupのリーダは、原子衝突理論物理学の世界的権威者の一人Kenan ProfessorのEugen Merzbacher教授である。
Merzbacher教授は、Harvard UniversityにおいてJulian Schwinger教授(Nobel laureate)の下で研究をしてPh.D.を取得し、その後、The Institute for Advanced Study at Princeton Univ.でポスト・ドクター(post doctor)研究を行った人である。
更に、Merzbacher教授は、Institute for Theoretical Physics, Copenhagenで客員研究員として滞在していたことがあるが、そのときには、Niels Bohr(Nobel laureate)が不在で、彼の息子であるAage N. Bohr(Nobel laureate)らと研究をしたという。当時の理論物理学の世界における世界的に知られた物理学者との親交も多く、そのような話を聞いているだけでも楽しい時を過ごすことができた。
この二人のHarvard出身の教授と、そして同じグループの他の大学院生と一緒にLenoir HallのカフェテリアやYMCA、或いはPhillips Hallのミーティング・ルームで軽い食事をしながら、或いはランチを食べながら、物理に関連した話題について話したり、原子衝突の研究について討論したりすることによって、いろいろスティミュレートされたことが多かった。これは、Julian SchwingerやNiels Bohrの手法でもあったように思う。彼らとの多くの対話は、生涯忘れることができないものである。
冬期休暇および夏期休暇の間は、Prof. Shafrothの研究に従事することによりResearch Assistantshipを得ると共に「TUNL(Triangle Universities Nuclear Laboratory)」で加速器を利用した重イオンの原子衝突に関する研究に没頭した。
「TUNL」は、隣町ダーラム(Durham)のDuke Universityのキャンパスにある加速器の研究施設である。この施設は、UNC、NCSU、そしてDukeの3つの大学が共同で使用する、D.O.E.(米国Department of Energy)の支援を受けている研究所である。「TUNL」には、タンデム型バン・デ・グラーフ型加速器("Tandem Van de Graaff Accelerator")を中心に、重イオンを加速するためのエネルギーを生成する装置、世界でも有数の偏向ビームの発生装置、多数のビーム・ライン施設、及び実験データ・アクエジション及びアナリシス用の計算機(DECのVAX)等の設備がある。
私の研究は、WMU(Western Michigan University)でのundergraduate researchの続きで、タンデム型バン・デ・グラーフ型加速器を利用して、重イオンを加速し、ターゲットの原子に衝突させて、衝突における電子の挙動を研究することであり、主な作業は、衝突で得られたX線のスペクトルを解析することである。この解析により衝突によってどのような電子の遷移や励起が原子間で発生しているかを調べることである。
実験は、平日や週末に係わりなく、昼夜を徹して数日間行われる。「TUNL」では、各実験グループがビームを利用できる時間や期間がそれぞれ限られているからである。制御室に実験データのログ・ノードを準備し、ビームのチャージ・ステートやターゲットの圧力、等の条件がその実験のスペック通り稼動しているかどうかを常にモニターで監視しながら、重イオン-原子衝突で得られたX線スペクトルを測定する作業を徹夜で行う。ときには、設定がうまくゆかず、数時間或いは数日の間、実験データを得ることができない場合もある。そのため、実験が軌道に乗ると、DECのコンピュータを介して磁気テープ(当時)にデータを記録し続ける。従って、実験中はそのほとんどが「TUNL」での生活となるので、ときどきアパートメントに帰宅する以外は、食事等もDuke Univ.のキャンパスにあるカフェテリアでとることになる。
「TUNL」で実験があるときの楽しみの一つは、加速器の「子守り」の合間に、Duke Universityの「Duke Chapel」やキャンパスを歩いてしばしの休憩をとることである。Duke Universityのキャンパスは、Princeton Universityのそれを模したと言われているように、ゴシック建築風の美しい建物が立ち並んでいる。休憩時間に、この美しいDuke Universityの建築物を眺めながらキャンパスを散歩していると、このときばかりは、Duke Universityにも願書を出しておけばよかったと後悔する。
実験との関係で、多電子原子モデルによる波動関数の近似解の解法の一つである「Hartree-Fock Approximation Method」(ハートリー-フォック近似法)の理論に興味を覚えた。これは、Phillips Hallに設置されているコンピュータ端末からUniversity of California Lawrence Livermore National Laboratoryに設置されているスーパー・コンピュータ(SC)に電話回線(当時)によりアクセスして、様々な条件を入力することによりターゲット原子のおよびイオン・ビーム(プロジェクタイル・イオン)に関する波動関数の近似解(即ち、ポテンシャルの近似値)を、SCに搭載されている計算ソフトを利用して、計算した。これにより、実験で得られたスペクトルに基づくエネルギー値と、計算式に基づくエネルギー値とを比較して、衝突においてどのようなelectron transition(s)やcapture(s)が実際に行われているのかを検討することができる。これは、Ph.D.の学生であったThomas(通称、トム)の協力の下で行った。しかし、H-F近似法で得られるポテンシャルは、あくまでも近似解なので、実験データを解析するときには、それなりに十分注意する必要がある。更に、イオン・ビームの衝突エネルギーが高くなればなる程、H-F近似法の解についても、何らかの修正が必要になると思われていた。
Prof. Shafrothは、当時、Auger Electron Spectrometerを製造し、それを用いてheavy ions-atoms collisions後のAuger electron(s)の振舞いを研究することに全力を注いでいた。研究グループの一人の院生は、その製造でPh.D.を取得した。しかし、当時の私は、Auger Electron Spectrometerを設計して製造することに余り興味がなかった。
私個人としては、重イオンの原子衝突の研究において、重イオンのビーム・ステートを完全に制御させること、そしてターゲット原子中の電子状態を正確に制御することができる方法がないかどうかということを考えていた。その解として、帰国した後に、Chapel Hillでお会いした理化学研究所の粟谷教授を訪問した際にいろいろ尋ねたときに、「ガス状ターゲットの方がピュリティーの維持が可能である」ということが分かった。ちなみに、粟谷教授は、Prof. Shafrothと同様、Nuclear PhysicsからAtomic Collision Physicsにその研究を移行した女性の方であり、University of Tokyoの御出身である。
なお、帰国した後、ドイツのマックス・プランク研究所、日本の理化学研究所、米国のKSUでの研究、並びに世界各地での加速器を利用した原子衝突の研究が、重イオンと多電子原子との衝突における(Kシェル、Lシェルやそれよりも外殻の)電子のelectron transition(s)やcapture(s)の影響についても研究が進んでいることに気付いた。また、イオン・ビームのエネルギーも更に高くなってきていることに注目した。それは、まさに私が望んでいた「加速器を利用した相対性的な速度で加速された重イオンと多電子原子との原子衝突」における研究である。
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