2009年10月20日火曜日

KEK 平成21年度公開講座(1)

2009年10月17日(土)

 今日は、「筑波大学」春日キャンパスで開催された、KEK(高エネルギー加速器研究機構)が主催する「公開講座」に参加した。平成21年度のテーマは、『ノーベル賞の先の未来へ』。

講義内容
(1)「超伝導技術が拓く先端加速器科学」
高エネルギー加速器研究機構 共通基盤研究施設 教授 山本 明
(2)「全てのイオンを加速するデジタル加速器」
高エネルギー加速器研究機構 加速器研究施設 教授 高山  健

 講義の時間は、質疑応答の時間と休憩時間を含めて13:00~16:30の約3時間半。TPのプリントアウトが事前に配られ、講義は、そのTPの内容に沿って説明されるので、ノートを取る必要がない。その分、講義に集中できる。両講師ともに日本及び世界におけるその道のエキスパートであり、充実した内容の、素晴らしい講義を行って下さった。

 山本教授の講義は、「超伝導」というテーマであったが、期待していた「ILC」の「超伝導空洞」については講義時間の関係であまり触れられなかったので、質疑応答時に「ILCの超伝導空洞に関するKEKの開発状況と世界の開発状況」について質問をした。「ILC」の実現を希望するものとして、これは、今、私が最も関心を抱いているテーマである。

 今朝オーストリアから帰国されたというのに、高山教授は、その疲れを微塵だに見せないで講義をされた。技術的に予備知識がなかった高山教授の「誘導シンクロトロン」は、その講義を聴くうちに興味を覚えてきた。この講義のお陰で「サイクロトロン」や「シンクロトロン」の基本原理を復習も兼ねて十分に理解できたと思う。あらゆる種類の重いイオンを加速できる「誘導シンクロトロン」の応用の一つに《核融合》がある。これは、個人的に興味を覚える応用分野である。また「遺伝子」や「DNA」等の「ゲノム」への応用に対しても興味が湧いた。その他、「環境」や「自然」に対する応用等も示され、「加速器技術」が幅広い分野に適用可能であることを知ることができた。

 KEKを訪れてから、「加速器」そのもの(そのメカニズム、電子機器、測定装置、ビーム工学、等)について大変に興味を覚えてきた。私自身もう少し若かったならば「加速器工学」をぜひ勉強してみたいと思っている。

 受講者の中に、高校一年生の女の子がいた。「加速器」の分野に興味を抱いている若い人の将来が本当に楽しみである。

 時間的に可能であれば、講義を終えた後、実際の装置をKEKで見学することが最も効率的に装置を理解することができると思う。これは、ぜひ実施してもらいたいと考えている。

2009年10月7日水曜日

中秋の名月

2009年10月3日(土)
 今夜は、十五夜「中秋の名月」である。北鎌倉「東慶寺」の「本堂」で開催された「お月見の夕べ」を妻と二人で観賞した。

 「本堂」に入りきれない観客は、「方丈」で観賞することになったようだ。
 普段「本堂」に上がることができないので、この機会に「本堂」に祀られている御本尊「釈迦如来像」、開祖「覚山尼像」、第5世「用堂尼像」(後醍醐天皇の皇女で護良親王の姉)、第20世「天秀法泰尼像」(豊臣秀頼の息女で家康の孫娘・千姫の養女)を間近で拝むことができた。

 会の開始と同時に、御住職と二人の僧侶による「般若心経」の読経があり、更に「月光菩薩」に対するお祈りがあった。生まれて初めて御寺で「十五夜」を迎えたが、主役のお月様は、まだ雲に隠れている。演奏会が終わる頃までには、その美しいお姿を見せてくれるとよいのだが。

 読経の後、境内の鈴虫の鳴声に誘われるように、「月」という篠笛独奏曲を吹きながら和服姿の「川村京子」さんが静々と登場する。

 演奏は、全部で三曲。最初の曲は、御琴のみの独奏「乱 乱輪舌」。二曲目は、「四季曲」、そして三曲目は、「Kizu」。二曲目と三曲目は、川村さんの歌と共に御琴の音色を楽しむことができた。

 特に、三曲目を演奏する前頃からは、お月様がその姿を見せて、演奏もお月様の方向に転換して行われた。

 演奏が終わり、「本堂」を出るときに、本堂脇にある「池」の水面に綺麗なお月様が写っていた。なんと素晴らしい光景であろうか。 「十五夜・中秋の名月」を「東慶寺」のお庭で十分に堪能することができた。

 普段では入山できる時間帯ではないのだが、 夜七時頃の「東慶寺」の境内は、「ぼんぼりの灯」のような照明で照らされていて、「古都・鎌倉」の情緒が殊の外漂っていた。

妻と二人で、久し振りに古都の風を楽しむことができた。

2009年9月29日火曜日

東慶寺 茶室「寒雲亭」

 私の「御茶」の楽しみの一つに、御茶を戴く場所である「茶室」の構造と、「茶席」のために飾られている「御軸」、「御花」、「花入れ」、「香炉」、「風呂」、「釜」、「水差し」、等を含む茶道具を見るということがある。後者は、茶席を主催する「亭主」の美的感覚にかなり左右されるものであるが、これは、北鎌倉「東慶寺」の茶室「寒雲亭」を最初に訪れたときから興味を覚えたものであり、先月(8月)からお邪魔している「東慶寺」の「月釜」では、御亭主の素晴らしい感覚が「茶室」を訪れる楽しみを倍増させてくれている。 先月の「月釜」は「立礼式」であったがこれもまた夏の「お茶席」として楽しむことができた。

 私は、「東慶寺」の茶室「寒雲亭」の「露地」を歩くのがことのほか好きである。「露地」を歩いたのは、今回の「月釜」で2度目であるが、「苔」のむした「露地」を歩いて「貴人口」より茶室「寒雲亭」に入るときには、時の流れが「千利休」の時代へと戻されて行くような気がするし、自然と心身ともにある種の緊張感が漂ってくる。

 北鎌倉「東慶寺」の茶室「寒雲亭」は、京都の「裏千家」にある茶室と同じ名前であるが、この「東慶寺」の「寒雲亭」が元々京都の「裏千家」にあったもので、明治時代、東京の久松家(元・伊予松山藩15万藩主松平(久松)家)に移築され、その後、鎌倉・材木座の堀越家(堀越宗円)を経て昭和35(1960)年、堀越家から斉藤利助氏により寄進されて「東慶寺」に移築されたものである。

 「寒雲亭」は、「千宗旦」(千利休の孫)の好みで造られた茶室で、わび本位の茶室である「今日庵」(こんにちあん)と「又隠」(ゆういん)の二つの茶室とは対照的に、書院造りが特色である。小間と広間とが併設されており、広間は、八畳で一間の本床と一畳の控えと付書院がある。

 茶室「寒雲亭」の天井は、貴人をお迎えするための「真」、お相伴の人には「行」、自ら茶を点てる場所は「草」という具合に、天井を「真行草」の三段「所謂、真行草(しんぎょうそう)の天井」、に張り分けてあり、千宗旦の茶人としての独創性と心遣いが示されている。その草にあたる船底型の天井の下には、「千宗旦」筆の「寒雲」の扁額が飾られており、「東福門院」よりの拝領品を象った「櫛形の欄間」が施されている。

 なお、京都・裏千家に現存する「寒雲亭」の有名な「八仙人の手違いの襖」(狩野探幽)(1602-74)が、飲中八仙(いんちゅうはっせん)(唐の杜甫が作った詩に登場する酒豪、李白・賀知章など8人)の酒を飲む様子を描いた際、一仙人の左右の手を描き間違えたため「手違いの襖」といわれている著名な襖)は、「東慶寺」の「寒雲亭」から「裏千家」の「寒雲亭」に戻されたものである。(平成6(1994)年改修)

2009年9月9日水曜日

KEK一般公開

2009年9月6日(日)
 筑波にある「KEK(高エネルギー加速器研究機構)」の一般公開に参加した。

 今年の4月19日(日)に「科学技術週間」の一環として開催された「つくばの研究機関」の特別公開のときは、2008年のノーベル物理学賞を受賞した益川・小林理論を実験的に検証した実験施設の一つである「Belle」測定装置を見学することが目的であったが、今回は、「CERN(Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire):欧州原子核研究機構」で稼動し始めた「LHC (Large Hadron Collider):大型ハドロン衝突型加速器」に続く次世代の加速器としてその建設が予定されている「ILC (International Linear Collider):国際リニアコライダー」の研究・開発に特に注目して、「KEK」にある“ILC”関連の研究・実験棟を訪れることにした。

 最初に「超伝導リニアック試験施設棟」を訪れた。ここは、“ILC”を実現するために最も重要となる「加速器」の構成部分の一部である「超伝導リニアック」を「製造・実験・研究」している研究棟である。

 どちらかというと「物理」そのものを研究する場所ではなく、「加速器」の「装置」の「製造場所」といったような雰囲気のところ。以前の私であれば殆ど興味を覚えなかった場所である。しかし、電子、陽電子のバンチが加速されて通過する空洞を形成する「加速管」に「超伝導材料」が用いられていることに大いに興味を覚える。そして、「加速管」で電子、陽電子を加速させるためのメカニズムが私の好きな分野である「電磁気学」、「超伝導物質」、そして「加速器工学」のそれぞれに大いに係わっていることが判ってきて、自然に興味をそそられる。

 担当者から「超伝導加速空胴」について説明をしてもらっている間に、「加速器」を構成する「装置」の構成・構造は、もとより、「装置」それぞれを製造するときに発生する問題点を解決するために必要な技術にも興味を覚えた。

 例えば、
(1)ナノスケールのビーム(電子・陽電子)を加速するための「空洞」を鏡面研磨するときに発生する凹凸や傷を検査・検出する光学的検査方法及び装置;
(2)「空洞」の鏡面研磨方法(化学液により研磨);
(3)RF(高周波)の安定したパルス(上面がより平滑化されたパルス)を発生しかつ供給するための技術;
(4)長い距離に亘り接続されるパイプ間の機密性(ここでは「超伝導」を実現するために液体窒素、等を含めた「装置」を一定の温度・圧力に保持する)を実現するために必要な異種金属間の圧着式(?)接続方法、等。

 帰宅してから「電子や陽電子のバンチが超伝導空胴の中をRF(高周波)電界で加速されるメカニズム」について考える。インターネットをサーフィンしても適当な資料がなかなか見付からなかったが、ようやく京都大学大学院生の修士論文(内容は、上記(1)に関連したもの)に一部分ではあるが、望ましい記載があった。しかし、実際には、「電子や陽電子のバンチがほぼ光速にまで加速されて所望のエネルギーを得る方法」について、いまだ理解できていない。何かこれについて説明されている資料はないだろうか。

 本来ならば、この実験棟の後に「先端加速器試験棟」を訪れるべきであったが、次に、「Belle」の実験棟を訪れてしまった。これは、ちょっと失敗した。
 なぜならば、後で「先端加速器試験棟」を訪れたときには、疲れてしまって、説明を聞く気分ではなかったから、説明なしで単独で実験棟を観て回ってしまったからである。

 「超伝導リニアック試験施設棟」の次に訪れたのは、「Belle」が設置されている「筑波実験棟」である。前回訪れたときに一度観ているので、あまり感激はしなかったが、「Belle」がメインテナンスのために開いていたので、その内部の様子を今回初めて見ることができた。しかし、肝心の「検出器・測定器」部分は内部に設置されたままなので、見ることができない。

 「Belle」の実験棟で説明をして頂いた人は、関西語で話すひとだったので、京都大学のOBであろうと思われ、京都大学の基礎物理学研究所の所長・教授を兼任されていたときの益川先生の講義を受けたことがあるとのことだが、マスコミの前での態度とは全く異なる素晴らしい先生ですとのこと。但し、黒板の字は、大変読みずらかったとのこと。

 そして、「KEKB」の装置を別個に展示している「Belle」の実験棟に隣接する資料室を見学する。
 続いて「日光実験棟」を訪れる。ここでは、「加速器」を構成しているリングの一部分と、そのリングに設置されている様々な電磁石や、「ルミノシティ」を向上させるための装置である「超伝導クラブ空胴」を見学する。

 「超伝導」の技術がここにも生かされていることに興味を覚える。また、「ルミノシティ」を飛躍的に向上させることができた「クラブ空胴」の目的とその機構にも興味が湧いた。
 上記以外の実験棟も見学したが、疲れたのであまりよく観察しなかった。これらの実験棟の見学は、次回の楽しみとしたい。

 そして、最後に、小林誠先生の講演を聴く。先生の講演は、これで3度目になるが、その内容はあまり代わり映えしなかった。もう少し、益川先生のようにユーモアを交えて話されるとよいのだが、といつも思う。

 疲れたが、楽しい一日を過ごすことができた。やはり「物理」は楽しい。特に、加速器を利用した物理学には、夢がありロマンがある。

参考資料(1):
高エネルギー加速器研究機構(KEK)の齋藤健治助教授をリーダーとする加速器研究開発グループは、ニオブ※1)の超伝導材料で作られた超伝導加速空洞※2)においてメートルあたり5,230万ボルト(V/m)の加速電界を達成することに成功した。これは1.5Vの乾電池を約3,500万個直列にした時の電圧に匹敵するものである。
高電界を達成する超伝導空洞の開発は、加速器の性能向上や省エネルギー・省スペース化を図るうえで大変重要である。次世代の高エネルギー物理学研究を行うために世界中の研究者が協力して進めている国際リニアコライダー(ILC)の概念設計作業においても最重要課題の一つとなっている。従来、ドイツのDESY研究所などが中心になって設計した超伝導空洞(TESLA形状)では、メートルあたり4,100万ボルトの加速電界が限界であった。今回、研究グループは、新しい高電界限界理論に基づき空洞形状を設計・製作することで、超伝導空洞における世界最高記録を達成した。また、超伝導加速空洞が放電を起こさずに高電界を達成するためには、欠陥の無い滑らかで超清浄な空洞内表面を造る技術が不可欠であり、この面でもKEKはBファクトリー加速器の前身であるトリスタン加速器で開発した電解研磨技術を基礎とする優れた表面処理技術を活かし、高電界達成に大きく寄与した。今回、高電界を達成した単一セル型超伝導空洞(図1)は、ハッサン・パダムジー教授が率いる米国コーネル大学のチームが設計・製作した空洞(リエントラント形状:RE)にKEKが開発した表面処理技術を適用したものと、KEKと米国ジェファーソン研究所、ドイツDESY研究所が共同で形状設計し、KEKの機械工学センターが製作した空洞(低損失形状:LL)の二種類である。絶対温度2度の環境において、RE形状はメートルあたり5,230万ボルト(Qo※3)=0.97×1010)、LL形状はメートルあたり4,730万ボルト(Qo=1.13×1010)の加速電界を達成した(図2)。この値はこれまでの記録を大幅に更新するものであり、超伝導加速器の専門家の間では現在の技術における理論的限界値として捉えられている。ILCの高電界超伝導空洞試験開発のアジアグループリーダーでもある齋藤助教授は、「この成功は、ILC高電界空洞の概念設計方針上、決定的に重要である。従来のTESLA形状では過去10年間、メートルあたり4,100万ボルトに電界が制限されて来た(図3)。その原因について専門家の間では、製作技術の問題と理論的限界説の2つに議論が分かれていた。我々はこれまでのデータを解析し、理論的限界説を2001年に提唱し、その制限の中でより高電界を得るためには最大表面磁場と加速電界の比が小さい新しい空洞形状しかないと指摘していた。今回の結果は、この指摘を裏付けるものである。」と述べた。KEKではこの成果をもとに、LL形状の9セル型超伝導加速空洞の開発を進めており、世界の加速器研究者から注目が集まっている。また、超伝導加速空洞設計の基本思想の変更が有効であったことを実証した今回の成果は、ILCが目指す加速電界の達成に十分な根拠を与えたばかりでなく、従来と比較し小型で省エネルギーの加速器が実現可能となることにより、幅広い分野での応用の道を拓くものと期待が寄せられている。
※1)
ニオブ:超伝導臨界温度絶対温度9.25度の単一金属。加工性に優れ空洞製作に適する。
※2)
超伝導加速空洞:加速空洞とは高周波をその中に供給し、それが作る電場で荷電粒子を加速する装置(加速管ともいう)である。超伝導加速空洞は、加速管を超伝導材料で製作したものである。超伝導特性から空洞内の高周波損失を著しく低減でき、省エネルギー性が向上する。
※3)
Qo:空洞内での電力損失の逆数に比例し、この値が大きいほど空洞内表面での電力損失が小さい。省エネルギー性の目安。

2009年8月27日木曜日

世界遺産 日光

2009年8月12日(水)

 久し振りに日光を訪れた。今回は、バスツアーなので、自由時間はあまりなかったが、現地でガイドが付いたので、今迄何度か見ていた場所に関していろいろ説明があり、それらの場所の由来、等について理解することができた。

 まず昼食を食べてから、「日光山輪王寺」の大本堂である「三仏堂」を参拝する。

 「輪王寺」の中心が大本堂で、「三仏堂」と呼ばれている。「三仏堂」という呼び名の由来は、3体の本地仏-ほんじぶつ-をまつっていることによる。寺伝によれば、慈覚大師円仁が入山したときに、比叡山の根本中堂を模して建立したと伝える。山岳信仰にもとづき、日光の三山つまり「男体山」(なんたいさん)、「女峰山」(にょほうさん)、「太郎山」(たろうさん)を神体とみて、その本地仏である「千手観音」(男体山)、「阿弥陀如来」(女峰山)、「馬頭観音」(太郎山)の三仏をまつった。 現在、「三仏堂」で拝観できる本尊は、江戸時代初期のもの。当時の優れた技法がうかがわれ、本邦屈指の木彫大座像仏といわれている。3体とも金色の寄木造りで、台座から光背の頂まで約8メートルある。

 「三仏堂」は、創建以来、移築が繰り返された。創建当時は、稲荷川河畔の滝尾神社近くだったが、仁治年間(1240~1242年ころ)に鎌倉3代将軍「源実朝」によって現在の東照宮の地に移された。その後、元和3(1617)年の東照宮創建の折に、今の二荒山神社社務所の地にあり、現在のような大きな伽藍になったのは、慶安3(1650)年の落成のときである。

 そして、明治4(1871)年の神仏分離の際に、今の場所に移されることになった。しかし、当時の輪王寺は財政が苦しく、解体して運んだだけだった。それを嘆いた明治天皇のおぼしめしによって再建できたという。 現在の建物は、昭和29(1954)~36(1961)年に大改修している。数少ない天台密教形式で、間口33.8メートル、奥行き21.2メートルと日光山でいちばん大きい。屋根は銅瓦ぶき、堂は総朱塗り、柱は漆塗りのケヤキ材。 堂内には伝教大師、慈恵大師、慈眼大師の像もあり、また日光山祈祷所では毎朝欠かさず日光伝来の護摩が修されている。

 続いて、「東照宮」を参拝する。やはり「世界遺産」として登録された処だけに見るべきものは多いが、それにしても多くの観光客で溢れていた。

 ここでの興味は、「陽明門」の彫り物の説明と、三匹の「猿」を中心とする「猿」の彫り物に関する説明であった。

 本殿に昇って御参りすると共に、「眠り猫」の彫刻も見ることができた。そして、久し振りに「鳴き竜」を見てきたが、拍子木で打つと成る程「鈴」の鳴るような音が反響して聴こえてくる。

 そして、最後に「ニ荒山神社」を参拝する。ここが最も静かなところであった。

 本殿は、徳川2代将軍秀忠公が寄進した安土桃山様式の優美な八棟造りの元和5(1619)年に造営した当時のままの、ただ1つの建造物として、重要文化財になっている。 間口11メートル、奥行き12メートルで、7メートルの向拝(社殿の正面階段の上に張り出したひさしの部分)がつく。単層入母屋-たんそういりもや-の反り屋根造りで、黒漆塗りの銅瓦ぶき(創建当時は柿-こけら-ぶきか檜皮-ひはだ-ぶき)。正面は、千鳥破風-ちどりはふ-(屋根の斜面に取り付けた装飾用の三角形の破風)、向拝軒唐破風-こうはいのきからはふ-つきである。 本殿の四方は縁側で、内部は弁柄漆極彩色。内部は内陣・外陣と分かれて、内陣に神霊がまつられている。外部全面に飾り金具をほどこしているが、東照宮と比べると落ち着いた装飾である。 1間(約1.8メートル)1戸の平唐門、棟門の掖門-わきもん-、格子組みの透塀-すきべい-が本殿を囲んでいる。 ところで、本殿造営が2代将軍秀忠公の寄進でおこなわれたことは、明治35(1902)年の修理の際に発見された旧棟木片で確認された。そこには「御本線棟札」「御建立征夷大将軍-せいいたいしょうぐん-源秀忠公」と大書されており、「元和五年己未-つちのとひつじ-九月」の日付のほか、奉行、大工など工事責任者の名前まで書かれていたのである。 この旧棟木片は本殿とともに、明治41(1908)年に、また唐門・掖門・透塀・鳥居は昭和19(1944)年に、それぞれ国の重要文化財に指定されている。

 12時15分に日光カステラ磐梯店を出発し、3時に戻ってきたので、約3時間に亘る散策であったが、時間が大変に短く感じられた。

 バスへ戻る途中で「ニ荒山神社」門前の老舗茶屋「おきなや」で食べた天然氷は、「吉新氷室(四代目氷屋徳次郎)」のものだった。大変に美味しかった!因みに、注文したのは「氷レモン」。

 バスに戻る時間が迫っていて、注文を受けたのが「お婆さん」であったからちょっと心配したのだが。

 まず、氷が少なかったので、氷室から塊を取り出してきた。既に二つに切られているが手だけではちょっと離れなかったので錐を当ててから小槌で一塊を剥がし取って、もう一つを室に戻す。そのときの氷を見て、「立派な氷だなぁ」と思う。そして、取り出した塊を氷掻き器に載せる。昔懐かしい手動式の氷掻き器で削られた氷が山盛りで出された。

 氷の「切れ」が全く違っていた。「見た目」にも、そして「味」でも。

 そのときは知らずに食べたが、後で妻が「あれ天然氷よ」と教えてくれた。

 現代、日本で天然氷を作っているのは、日光3軒(吉新氷室(四代目氷屋徳次郎)・松月氷室・三ツ星氷室)、秩父1軒(阿左美冷蔵)、軽井沢1軒(渡辺商会)の全国でたった5軒だけ。 因みに、NTVの日曜日午後6時半からベッキーが出演していた料理番組で、子供が料理を覚えるために、その道のエキスパートに修行するというプログラムがあったが、そのとき、ある男の子が御父さんのために「天然氷」のオンザロックを飲ませたいというので、何ヶ月にも渡り、「天然氷」を作ることを匠に学んでいたことがあった。その場面を思い出す。

2009年8月19日水曜日

寒川神社 神嶽山神苑


2009年8月15日(土)
 8月になって漸く相模国一之宮「寒川神社」に御参りすることができた。今年は随分遅くに参拝することになってしまった。

 去年戴いた「八方除けのお守り」を納めてから本殿へ向かう。

 しかし、今日は、「薪能」が開催されるために舞台や観客席の設定が行われていて、境内の様子がいつもと大分違っていた。「賽銭箱」の位置もずらされていて、何か奇異な感じだ。

 参拝を済ませて、帰る途中で、「神嶽山(かんたけやま)神苑」公開中の案内があった。これまで参拝したときには、そのような場所は、なかったと思う。そこで、早速、その場所を訪れて見ると、入口で、「御祈祷を申込まれた方にのみ開苑しています」とのこと。それでは、「御祈祷」をお願いしてみようと思い立ち、生まれて初めて自分自身で「御祈祷」をお願いすることにした。

 「祈祷願い所」に行き、備え付けの用紙に諸事を書き込み、初穂料を納めて申し込む。

 御祈祷のカード7番と、「神嶽山神苑」入苑券を受け取り、「待合所」でしばし待機。最初は、数組が待っている程度だったが、私の後から、かなりの数の祈願者が入所してきた。煎茶とお供物を戴きながら、7番が呼ばれるのを待つ。

 待つこと15分程で、呼び出しがあり、ほとんど全員がソファの椅子から立ち上がった。みんな7組だったのだ。

 「寒川神社」の「御紋」入りの白い「羽織」(「ちゃんちゃんこ」の大きめのようなもの)が全員に配られたので、「羽織」を身に付けで前紐を蝶結びにし、流れている手水でお清めをしてから「拝殿」に入る。

 「寒川神社」の「拝殿」に入るのは、そして大きな神社の「拝殿」に入ること事態が、初めての体験である。「拝殿」に入ってから「椅子」に着座する。厳かな気分になる。やはり「神様」に御参りするという、ある種の緊張感は、なかなかによいものである。

特に、「神道」は、仏教寺院とは異なり、「仏像」のようなものが存在しないので、「拝殿」の奥にある「本殿」に祀られている「もの」、例えば、山、木、等のような「自然の対象物」を「神」としたものであるから、「神」と対面するということが実感できる(例えば、奈良の「春日大社」の「木の輪」、日光二荒山神社の御神体「男体山」、静岡・浅間神社の御神体「富士山」、等)。

 いよいよ御祈祷の始まりである。まず椅子から全員が起立して、見習い神主による「御払い」を受ける。

 続いて、二番目の上級神主が来て太鼓を打ち鳴らす。

 そして、最も偉い神主さんの登場。祭壇の直前に座り、多くの鈴が取り付けられた長い紐を震わせて鈴を鳴らす。ご祈祷が始まり、そして、参列者の住所、名前、そして祈願の内容が祈願した一人一人に対して読まれて行く。やはり神主さんがご祈祷されると雰囲気も違うし、厳かな気持ちになる。

 「拝殿」の祭壇の中央には「八咫鏡(やたのかがみ)」が置かれていて、祭壇の下の両脇には、「狛犬」らしからぬ「狼犬」のような「犬の彫り物」が左右対称の位置の置かれている。これは初めて見る「犬の彫り物」である。

 先の偉い神主さんが再び長い紐を震わせて鈴を鳴らしてご祈祷が終わると、先の見習い神主さんから各自が「榊(さかき)の枝」を受け取り、祭壇前の台に「榊の枝」を置いてニ礼ニ拍してから御祈りを行い一礼したら終了となる。

 「羽織」を巫女さんに返却したら、終わりかと思っていたら、名前が書かれた「八方除けの御札」、「御神酒」、「お箸」、「お守り」、そして「浄め土」、等が入っている袋が用意されていた。それならば、納めた初穂料は、さほど高くはないと思った。

 「拝殿」から出て、いよいよ待望の「神嶽山神苑」を見学することにする。

 「神嶽山神苑」は、「寒川神社」が「本殿」の造営10周年を記念して平成17年から進めてきた「神嶽山」周辺整備が竣工して2009年8月2日(日)に一般への開苑が始まった。

 「神嶽山」は、「寒川神社」の「本殿」の裏手に位置する「山」で、その一角には、同神社の起源と深い関わりを持つとされる神池「難波の小池」が位置している。

 「難波の小池」の水は、毎年1月2日の「追儺(ついな)祭」で神前に供えるとともに、邪気を祓うため境内に撒かれる神聖なものである。

 「神嶽山神苑」は、「神嶽山」や「難波の小池」のほか、周辺に「浄め土受所」や「手水舎」が設置されている。

 その奥には、日本の伝統技術を結集した「池泉回遊式庭園」が造成されている。庭園内には、中央に位置する「八氣(はっき)の泉」を囲むように、茶屋「和楽亭(わらくてい)」や茶室「直心庵(ちょくしんあん)」、八方除の資料を展示した「方徳資料館」、そして雅楽や舞楽の演奏を行う「石舞台」がある。
 また、「土橋(どばし)」と「石橋」の二つの橋が架けられていて、「石舞台」を含む厳粛な空間と、「茶室」や「資料館」などの憩いの空間とを分けて構成されている。

 上述した「方徳資料館」は、「八方除」の資料を展示していて、一見の価値がある。「八方除」には「古代朝鮮」から渡来したと思われる「陰陽師」が係わっていて、どうやら「古代朝鮮」の「百済」と「寒川神社」との係わりが暗黙のうちに示されていると思われる。

 「庭園」を散策し、「方徳資料館」を見物した後、茶屋「和楽亭」で御茶を戴くことにした。干菓子も二種類付いていて、なかなか上品な味だ。そして御茶もなかなか美味しい「薄茶」である。先月、「東慶寺」の「寒雲亭」で戴いたものによく似た味の御茶で、きっと同じ御茶であると思う。

 茶屋「和楽亭」からは、「池泉回遊式庭園」の中央に位置する「八氣の泉」がよく見渡せる。庭園内に在るいくつかの滝も綺麗な流れを育むように造園されていて、一瞬「京都」にいるような雰囲気になる。秋は、さぞ綺麗だろうと思われる。また、「土橋」の上からは、「本殿」の様子をよく眺めることができる。

 残念ながら茶室「直心庵」は、公開されていなかったが、なかなか立派な茶室である。せっかく「神嶽山神苑」を公開しているだから、ここも見学できるようにしてくれたらと、少し残念に思う。

 「神嶽山神苑」の一般への開苑は、2009年の年内は、11月30日(月)まで。入苑には、「祈祷の申込み」が必要である。なお、12月から3月までは閉苑となる。

2009年8月11日火曜日

茶の湯1



 鎌倉・東慶寺の茶室「寒雲亭」にて、武者小路千家の正教授の先生の指導による「体験茶道教室」に参加してみた。
 「東慶寺」の受付で支払いを済ませ、受付に待機されていた先の同席者の一人(男性)に案内されて「寄付」に入る。

 ここで、案内して戴いた方と対話する。彼は「東慶寺」で庭、等の世話をして働いているという。

 茶室「寒雲亭」は、京都の「裏千家」にある茶室と同じ名前であるが、この「東慶寺」の「寒雲亭」が元々京都の「裏千家」にあったもので、明治時代、東京の久松家に移築され、その後、鎌倉・材木座の堀越家を経て昭和35(1960)年、堀越家から寄進されて「東慶寺」に移築されたものである。「寒雲亭」には、「真行草(しんぎょうそう)の天井」、その草にあたる船底型の天井の下には、「千宗旦」筆の「寒雲」の扁額、そして「櫛形の欄間」が施されている(平成6(1994)年改修)。

 靴下を履き替えて待機する。そのうち、既に数回に亘り教室に参加されている3名の女性が到着した。今日の参加者は、私を含めて5名であるが、初めて参加するのは、私一人であった。

 暫くすると、今回の教室参加に際してメールで何度が交信したことがあるIさんが「寄付」に見えられたので挨拶をする。

 ちょっと雑談をした後、「寄付」を出て「草鞋」を履き、「露地」を通って「茶室」へ向かう。苔の生えている「露地」はなかなかみごとで風情がある。これは、初心者の私のために行ったものであるが、教室への参加の回数が重ねられると、どうやら省略されるらしい。

 「露地」を通り抜けると「茶室」の茶室の「入り口」(立ったまま入れる「貴人口(きにんくち)」)に到る。「踏み石」で「草鞋」を脱ぎ、「扇子」を「貴人口」から「広間」に入ったところのちょっと先に置いてから軽く会釈をして「広間」に入る。

 「広間」に上がったならば、まず、「床の間」の前に進み、「掛け物」の前で「扇子」を自分の膝前に置いてから、軽く会釈をして、「掛け物」を拝見する。
 「掛け物」は、東慶寺の前住職「釈宗演」による書であった。(後でそれが判った。そして、書かれている字とそれらの内容の説明があった。)

 続いて、竹筒の「花入れ」の正面に向きを変えて、「扇子」を自分の膝前においてから、やはり軽く会釈をして、「花」を眺める。「むくげ、だなぁ」と気付く。しかし、それに添えられている花はわからない。(後で聞いたが忘れてしまった)

 そして、「通り路」と仮定されている畳の上を歩いてから、自分の席まで歩き、そこで向きを変えて着座する。自分の膝と前の畳の縁との「間隔」は、手のひらが入るくらいの「間隔」で座る。座ったら「扇子」を自分の膝前において、軽く会釈をする。手の付く場所は、かならず自分の正面で手をつくこと。そして、左脇に「懐紙をいれた持ち物」、そして右脇に「扇子」をそれぞれ置く。

 枕が配られたので御尻の下に敷く。これで正座が大いに楽になる。すると自然と姿勢もよくなってゆく。

 全員が着座した後、先生から御挨拶があり、早速、生菓子が銘々皿にて配られた。今日は、季節の「水羊羹」。銘々皿は、それぞれの人の「縁の外」に置かれている。そして、「冷たいうちに」ということで、銘々皿を「縁の内」に置いてから、皿の向きを変えて、「水羊羹」を頂戴する(なかなか美味しい。(どこのだろうか。北鎌倉「こまき」のものかなぁ)。

 いよいよ、お点前であるが、すでに亭主の方は、最初の御茶を準備している。
 先生を除いて考えると、正客から順番に御茶の御点前が始まった。今回の教室では、私を案内してくれた男性が正客となった。

 まず、正客が席を立ち、茶碗を亭主のところまで取りに行く。作法が始まった。無事に御茶を頂戴し終えたようだ。

 次いで、二番目の客が茶碗を亭主のところまで取りに行く。そして、無事に御茶を頂戴し終えた。
 そして、私の番であるが、私は初心者なので、半東の方が、亭主のところから茶碗を運んできて下さった。

 私の膝前の縁の外に茶碗が置かれた。ここで半東の方に軽く会釈をする。

 次いで、茶碗を縁の内に取り込む。このときは自分の膝右手前に茶碗を置く。そして、次の客(左側)との間に茶碗を移し、「お先に」と会釈して、茶碗を自分の正面点前に置き換えてから、亭主に「お点前頂戴いたします。」と会釈してから右手で茶碗を持ち、左手で茶碗の台を支えから、胸元近くに運び、時計方向に二度(約90度)回転させて、正面の絵を移動させてから茶を頂戴する(飲み干す:何口で飲み終わってもよい)。

 飲み終えたら、飲んだところ(口)を指で拭い、懐紙で指を拭き、茶碗を半時計方向に二度(約90度)回転されて、正面の絵が自分に向くようにする。

 ここで、茶碗を眺めてもよいが、懐紙を下に敷いてからその上で眺める。これは、茶碗の中に残っている御茶が多少こぼれても大丈夫なようにするためである。

 綺麗な絵柄の茶碗である。妻が持っている茶碗に、かなりよく似ていたが、その絵柄をあまりよくは覚えていない。

 眺め終わったら、一度、縁の内で茶碗を自分の点前に置き、正面が受け取る側の方になるようにして、縁の外へ置く。そして、半東の方に会釈をして。私の番が終わる。

 後は、残りの人が終わるまで、お点前をしている亭主の道具の使い方や作法を眺めることにした。(心の中では、茶室から外の「露地」を眺めて見たかったのだが)。

 「炭」で炊かれている風呂に載せられた釜には、すでにお湯が沸いている。御点前の数に合せて、「水差し」から水を足している。「炭」が炊かれていれば、そこには「香」があるはずだが、緊張していたので、私には「香」を感じることができなかった。

 綺麗な瑠璃色のガラス製の大きな「水差し」で円形の蓋には蝶番が直径に沿って二つ付いていて半円形のいれかを開けることができるようになっている。

 お点前が一通り終わってから正客がその名前及び由来を尋ねた(棗、茶杓の拝見を申し出、問答するというものであるが、この手順にも作法がある)茶道具が回ってきた。

 棗は、「夕顔」の蒔絵があしらわれた「夕顔」という名の棗で、蓋の裏側は銀で覆われている。棗の中の御茶も綺麗に盛られていて、お点前で使われた部分がみごとに取り出されていることが一目でわかる。茶杓は、東慶寺さんのものである。

 お点前が終わり、亭主が片付けを終えるまで皆で注目。

 そして、先生を囲んで、雑談の一時となる。

 ここで茶道入門教室は終了となる。そのまま居残って4名の生徒さんの習う様子を見学してもよいとのことなので、見学することにした。

 「広間」は、「京間」の八畳で、かなり広く感じられる。また、夏の茶室らしく、簀戸(すど)で囲まれていて、見た目には涼しげであるが、実際には、戸を開けない風が通らないので涼しくない。
 後で判ったことだが、「むくげ」は、「千宗旦」が好んだ花であるという。

 境内からは、散策する観光客の声が時折聞こえてくるが、静まり返ると、鶯の綺麗な鳴声が「谷戸」に木霊して聴こえてくる。いつもは参拝するだけの「東慶寺」を、違った形で楽しむことができた。

 今回の教室では、既に何回か参加されている4名の方と同席させて戴き、初めて参加するのが私一人であったので多少緊張したが、同席した人々の作法を見ながら、そして、指導してくださった方々のお陰で何とか一通りの作法を体験することができた。

 せっかく学んだ「茶席内での作法」及び「客ぶり」は、やはり実績を重ねることが必要であると思うので、これからは、茶室「寒雲亭」にて催される「月釜」に機会を見て参加したいと思っている。扇子、懐紙、そして、それらを入れるものを買っておこう。

 私の目的は、「茶を楽しむ」(茶席で御茶を頂戴する)ときの作法を学ぶことにあったので、その目的にかなったものであった。しかし、やはり一通り茶道を習得すべきであろうと感じた。機会を見計らって、続けて教室に参加したいと思う。