私の「御茶」の楽しみの一つに、御茶を戴く場所である「茶室」の構造と、「茶席」のために飾られている「御軸」、「御花」、「花入れ」、「香炉」、「風呂」、「釜」、「水差し」、等を含む茶道具を見るということがある。後者は、茶席を主催する「亭主」の美的感覚にかなり左右されるものであるが、これは、北鎌倉「東慶寺」の茶室「寒雲亭」を最初に訪れたときから興味を覚えたものであり、先月(8月)からお邪魔している「東慶寺」の「月釜」では、御亭主の素晴らしい感覚が「茶室」を訪れる楽しみを倍増させてくれている。 先月の「月釜」は「立礼式」であったがこれもまた夏の「お茶席」として楽しむことができた。
私は、「東慶寺」の茶室「寒雲亭」の「露地」を歩くのがことのほか好きである。「露地」を歩いたのは、今回の「月釜」で2度目であるが、「苔」のむした「露地」を歩いて「貴人口」より茶室「寒雲亭」に入るときには、時の流れが「千利休」の時代へと戻されて行くような気がするし、自然と心身ともにある種の緊張感が漂ってくる。
北鎌倉「東慶寺」の茶室「寒雲亭」は、京都の「裏千家」にある茶室と同じ名前であるが、この「東慶寺」の「寒雲亭」が元々京都の「裏千家」にあったもので、明治時代、東京の久松家(元・伊予松山藩15万藩主松平(久松)家)に移築され、その後、鎌倉・材木座の堀越家(堀越宗円)を経て昭和35(1960)年、堀越家から斉藤利助氏により寄進されて「東慶寺」に移築されたものである。
「寒雲亭」は、「千宗旦」(千利休の孫)の好みで造られた茶室で、わび本位の茶室である「今日庵」(こんにちあん)と「又隠」(ゆういん)の二つの茶室とは対照的に、書院造りが特色である。小間と広間とが併設されており、広間は、八畳で一間の本床と一畳の控えと付書院がある。
茶室「寒雲亭」の天井は、貴人をお迎えするための「真」、お相伴の人には「行」、自ら茶を点てる場所は「草」という具合に、天井を「真行草」の三段「所謂、真行草(しんぎょうそう)の天井」、に張り分けてあり、千宗旦の茶人としての独創性と心遣いが示されている。その草にあたる船底型の天井の下には、「千宗旦」筆の「寒雲」の扁額が飾られており、「東福門院」よりの拝領品を象った「櫛形の欄間」が施されている。
なお、京都・裏千家に現存する「寒雲亭」の有名な「八仙人の手違いの襖」(狩野探幽)(1602-74)が、飲中八仙(いんちゅうはっせん)(唐の杜甫が作った詩に登場する酒豪、李白・賀知章など8人)の酒を飲む様子を描いた際、一仙人の左右の手を描き間違えたため「手違いの襖」といわれている著名な襖)は、「東慶寺」の「寒雲亭」から「裏千家」の「寒雲亭」に戻されたものである。(平成6(1994)年改修)
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