「日本伝書鳩協会主催」の「2011年度東京ピジョンフェスティバル」を池袋のサンシャイン文化会館で見てきた。
久しぶりに日本で活躍しているレース鳩の精鋭達を直接見ることができたが、私がレース鳩を飼育していた頃とは、出陳されている鳩の姿、特に眼の特徴が異なっていることに気付いた。そして、その特徴部分が、出陳されていた鳩全体に共通していることにも驚いた。
いわゆる「在来系」のレース鳩が、レースからそして品評会からもほとんど姿を消しているのだが、「南部系」、「今西系」、「勢山系」、「松風系」、「ときわ系」、等の在来系(特に、所属していた連合会の関係から、ときわ系、秋風系、渡海系が中心)を飼育して兄と共にレースを楽しんでいた私にとっては、最近のレース鳩の画一化された眼にはちょっと違和感を覚えた。これは、日本におけるヨーロッパ、特にベルギー、オランダのレース鳩の大量の輸入と普及によるものだろう。
もっとも、40年以上前の体験を基に話をしているのだから時代の流れによってレース鳩の特徴も変化することについては無理もない。しかし、レースの成績だけ(すなわち、スピードだけ)を追求して、長い年月を掛けて改良してきた在来系の一つの特徴である「粘り」の性格を持ち、そして「美しい眼」のレース鳩が鳩界からその姿をほとんど消してしまったことは大変残念に思う。
参加した鳩レースの中で、最も記憶に残っているのは、やはり東京地区ナショナル「大沼公園」700Kレースである。参加させた鳩(秋風系)が東京地区で総合50位、連合会で7位に入賞して、上野にある日本鳩レース協会の会館での表彰式に参加したことだ。このレースは、初めての津軽海峡越えのレースで、翌日の早朝に鳩が帰還したことを覚えている。その後、木古内700Kや長万部800Kでも鳩を帰すことができたが、やはり大沼公園のレースが最も印象に残っている。
思い出として記憶に残っていることの一つに、当時、太田誠彦さんが出版していた「ピジョン・ダイジェスト」という鳩の雑誌のプレゼントに応募して、京都の重鎮、並河靖さんの作出した鳩が当選した。しかし、条件として、血統書が付かないというものであった。暫くすると、駅の日通から「鳩が届いているよ」との連絡があり、急いで取りに行った。そして、箱を開けてみると、「あれ、ずいぶん斜視気味な眼の鳩だなl」というのが最初の印象であった。当時、上述したように、綺麗な眼をしている鳩が多かったので、斜視気味の眼の鳩は、どうも好きにはなれなかったのだが、並河靖さんの作出鳩ということで飼うことに決めた。
我々兄弟がレース鳩の飼育を止めたときに、飼っていた鳩の全てを兄の知人の鳩舎に譲り受けてもらって飼って戴くことにした。また、兄の名前でその知人が属している「鳳競翔連合会」にも入会して、鳩協の委託レース等に参加していた。そして、ある日、嬉しいニュースが入ってきた。それは、あの並河靖さんから頂いた鳩の直仔が文部大臣杯レースに優勝したとのこと。今となっては、並河靖さんにその鳩の血統をお聞きすることもできなくなってしまったが、短・中距離においてかなりのスピード系の鳩であったらしい。
レース鳩の思い出は、まだたくさんあるが、それらについては、機会を見て書き込んでいきたい。
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