2009年8月27日木曜日

世界遺産 日光

2009年8月12日(水)

 久し振りに日光を訪れた。今回は、バスツアーなので、自由時間はあまりなかったが、現地でガイドが付いたので、今迄何度か見ていた場所に関していろいろ説明があり、それらの場所の由来、等について理解することができた。

 まず昼食を食べてから、「日光山輪王寺」の大本堂である「三仏堂」を参拝する。

 「輪王寺」の中心が大本堂で、「三仏堂」と呼ばれている。「三仏堂」という呼び名の由来は、3体の本地仏-ほんじぶつ-をまつっていることによる。寺伝によれば、慈覚大師円仁が入山したときに、比叡山の根本中堂を模して建立したと伝える。山岳信仰にもとづき、日光の三山つまり「男体山」(なんたいさん)、「女峰山」(にょほうさん)、「太郎山」(たろうさん)を神体とみて、その本地仏である「千手観音」(男体山)、「阿弥陀如来」(女峰山)、「馬頭観音」(太郎山)の三仏をまつった。 現在、「三仏堂」で拝観できる本尊は、江戸時代初期のもの。当時の優れた技法がうかがわれ、本邦屈指の木彫大座像仏といわれている。3体とも金色の寄木造りで、台座から光背の頂まで約8メートルある。

 「三仏堂」は、創建以来、移築が繰り返された。創建当時は、稲荷川河畔の滝尾神社近くだったが、仁治年間(1240~1242年ころ)に鎌倉3代将軍「源実朝」によって現在の東照宮の地に移された。その後、元和3(1617)年の東照宮創建の折に、今の二荒山神社社務所の地にあり、現在のような大きな伽藍になったのは、慶安3(1650)年の落成のときである。

 そして、明治4(1871)年の神仏分離の際に、今の場所に移されることになった。しかし、当時の輪王寺は財政が苦しく、解体して運んだだけだった。それを嘆いた明治天皇のおぼしめしによって再建できたという。 現在の建物は、昭和29(1954)~36(1961)年に大改修している。数少ない天台密教形式で、間口33.8メートル、奥行き21.2メートルと日光山でいちばん大きい。屋根は銅瓦ぶき、堂は総朱塗り、柱は漆塗りのケヤキ材。 堂内には伝教大師、慈恵大師、慈眼大師の像もあり、また日光山祈祷所では毎朝欠かさず日光伝来の護摩が修されている。

 続いて、「東照宮」を参拝する。やはり「世界遺産」として登録された処だけに見るべきものは多いが、それにしても多くの観光客で溢れていた。

 ここでの興味は、「陽明門」の彫り物の説明と、三匹の「猿」を中心とする「猿」の彫り物に関する説明であった。

 本殿に昇って御参りすると共に、「眠り猫」の彫刻も見ることができた。そして、久し振りに「鳴き竜」を見てきたが、拍子木で打つと成る程「鈴」の鳴るような音が反響して聴こえてくる。

 そして、最後に「ニ荒山神社」を参拝する。ここが最も静かなところであった。

 本殿は、徳川2代将軍秀忠公が寄進した安土桃山様式の優美な八棟造りの元和5(1619)年に造営した当時のままの、ただ1つの建造物として、重要文化財になっている。 間口11メートル、奥行き12メートルで、7メートルの向拝(社殿の正面階段の上に張り出したひさしの部分)がつく。単層入母屋-たんそういりもや-の反り屋根造りで、黒漆塗りの銅瓦ぶき(創建当時は柿-こけら-ぶきか檜皮-ひはだ-ぶき)。正面は、千鳥破風-ちどりはふ-(屋根の斜面に取り付けた装飾用の三角形の破風)、向拝軒唐破風-こうはいのきからはふ-つきである。 本殿の四方は縁側で、内部は弁柄漆極彩色。内部は内陣・外陣と分かれて、内陣に神霊がまつられている。外部全面に飾り金具をほどこしているが、東照宮と比べると落ち着いた装飾である。 1間(約1.8メートル)1戸の平唐門、棟門の掖門-わきもん-、格子組みの透塀-すきべい-が本殿を囲んでいる。 ところで、本殿造営が2代将軍秀忠公の寄進でおこなわれたことは、明治35(1902)年の修理の際に発見された旧棟木片で確認された。そこには「御本線棟札」「御建立征夷大将軍-せいいたいしょうぐん-源秀忠公」と大書されており、「元和五年己未-つちのとひつじ-九月」の日付のほか、奉行、大工など工事責任者の名前まで書かれていたのである。 この旧棟木片は本殿とともに、明治41(1908)年に、また唐門・掖門・透塀・鳥居は昭和19(1944)年に、それぞれ国の重要文化財に指定されている。

 12時15分に日光カステラ磐梯店を出発し、3時に戻ってきたので、約3時間に亘る散策であったが、時間が大変に短く感じられた。

 バスへ戻る途中で「ニ荒山神社」門前の老舗茶屋「おきなや」で食べた天然氷は、「吉新氷室(四代目氷屋徳次郎)」のものだった。大変に美味しかった!因みに、注文したのは「氷レモン」。

 バスに戻る時間が迫っていて、注文を受けたのが「お婆さん」であったからちょっと心配したのだが。

 まず、氷が少なかったので、氷室から塊を取り出してきた。既に二つに切られているが手だけではちょっと離れなかったので錐を当ててから小槌で一塊を剥がし取って、もう一つを室に戻す。そのときの氷を見て、「立派な氷だなぁ」と思う。そして、取り出した塊を氷掻き器に載せる。昔懐かしい手動式の氷掻き器で削られた氷が山盛りで出された。

 氷の「切れ」が全く違っていた。「見た目」にも、そして「味」でも。

 そのときは知らずに食べたが、後で妻が「あれ天然氷よ」と教えてくれた。

 現代、日本で天然氷を作っているのは、日光3軒(吉新氷室(四代目氷屋徳次郎)・松月氷室・三ツ星氷室)、秩父1軒(阿左美冷蔵)、軽井沢1軒(渡辺商会)の全国でたった5軒だけ。 因みに、NTVの日曜日午後6時半からベッキーが出演していた料理番組で、子供が料理を覚えるために、その道のエキスパートに修行するというプログラムがあったが、そのとき、ある男の子が御父さんのために「天然氷」のオンザロックを飲ませたいというので、何ヶ月にも渡り、「天然氷」を作ることを匠に学んでいたことがあった。その場面を思い出す。

2 件のコメント:

まささん さんのコメント...

『おきなや』さんの氷は旧吉新氷室廃業後、四代目徳次郎ではなく別の老舗氷室の氷で営業していますよ。徳次郎の氷は日光の食品会社が中卸に入っていてすごく高いので地元ではあまりいい評判は…

shigesan さんのコメント...

情報有難う御座います。
偶然に天然氷を味わうことができ、いろいろ調べたのですが、別の老舗の氷室のものだったのですね。