2014年2月22日土曜日

神々からの贈り物フェア 2014


くしろ地域ブランドファンクラブ

神々からの贈り物フェア

期間:2014215日(土)10:0018:00

                 16日(日)10:0016:00

会場:東京駅南口(丸の内側) JPタワーB1東京シティアイ

  体調が思わしくない状態だったが、どうにかこうにか、「くしろ≪神々からの贈り物≫フェア」が開催されている東京駅南口(丸の内側) JPタワーB1東京シティアイに設置されている会場に行き、「猛禽類医学研究所代表・獣医師である齊藤慶輔先生にお会いすることができた。

 初めてお会いしたにも関わらず、齊藤先生とはすぐに打ち解けて「猛禽類」に関する会話が弾む。

 会場には、代表的な猛禽類の「オオワシ」、「オジロワシ」、そして「シマフクロウ」のそれぞれの羽根(実物)や、「シマフクロウ」の(実物)がテーブルに無造作に置かれていて、それらについて先生がいろいろと説明して下さった。(羽根や卵を会場に持ち出すために「環境省」の許可を得るのが大変だったこと、等の裏話を含めて)。

 羽根を手で直接触ることによって、異なる種類の猛禽類の羽根の質が全く異なることが理解できた。また、どの羽根が飛翔の際に、推進力をもたらすのか、等、齊藤先生が説明して下さった。

 とりわけ、「シマフクロウ」の羽根が、茶道具として珍重されていることを伺った。茶の湯を沸かすための釜に炭入れを行う際に、こぼれた炭の破片を拭くために用いるのだとか。

  また、手術の際に、目隠しとして使用する道具の一つである「フード」(頭巾)を外国(米国)に注文した際に、その大きさ(猛禽類の種類により使用する材料の量が異なる筈)に関わりなく、同じ価格だったことを不思議そうに話された。確かに齊藤先生が会場で私に示された二つのフードは、その大きさがそれぞれかなり違っていたが、製作者からすれば、それらを作る手間があまり変らないはずだし、かえって小さいほうが造りづらいかもしれない。

 特定の鹿革で作られた長手袋は、昔、武士が着用した「甲冑」に用いられていたものと同様の皮であるという。その皮は、猛禽類の爪が貫通しない程、丈夫なものだという。

 [長年温め続けてきた思いが、シカ革の加工を専門に扱う組織の方と偶然知り合ったことにより、実現しました。孔が開きにくく、しなやかで、その昔高級武具にも使われていた《キョン》の革を使ってみてはどうか?とのご提案。《キョン》は中国などに生息する小型のシカです。近年、動物園から逃げ出したキョンが千葉県の房総半島などで増え、生態系への影響や農作物への被害が懸念されています。中国でも個体数管理のために捕獲が行われており、この貴重な革を有効活用すべく輸入しているとのお話しでした。 奈良県毛皮革広報協同組合] (猛禽類医学研究所HPより)

 「シマフクロウ」の幼鳥に餌を与えるためのマスクは、そのマスクの羽毛面の模様がかなり精巧に作られていて、一つの芸術品である。

 [シマフクロウの雛に給餌するためのハンドパペット(指人形)です。雛から人に育てられた鳥は、極端に人慣れ(刷り込み現象)してしまう恐れがあり、野生復帰の障害となる可能性があります。このため、若くして保護された鳥には、自分で餌捕りが出来るようになるまで、人間が姿を隠した状態でこの指人形を使った人工給餌を行います。](猛禽類医学研究所HPより)

 いろいろなお話を伺いたかったが、パブリック・イヴェントの場所なので、私が齊藤先生を独占するわけにもいかず、いつか機会を見て「釧路」にある「猛禽類医学研究所」を訪れた際に、齊藤先生からゆっくりお話を伺いたいと思った。

 

 

2013年8月16日金曜日

法然院サンガ・インド古典音楽


平成25年(2013年)68日(土)

哲学の道

 地下鉄・東西線の「蹴上駅」で下車し、予めメールで予約しておいた「法然院サンガ・インド古典音楽」のコンサートを聴くために「法然院」へ向かう。

 約10年振りに、「南禅寺」の「大門」の前を通る。この界隈は、何度か訪れているが、いつ来ても爽やかな気持ちになる。

 道案内の標識に従って暫く歩くと、やがて「哲学の道」に入り、疎水沿いを歩くようになる。「哲学の道」を歩くのは実に約40年振りだ。予想していたよりも、あまり風景が変っていないし、疎水沿いの道も以前よりは、多少歩き易くなったように感じた。今日は、観光客で賑わっている時間帯からかなりずれている(ほとんどの御寺の閉門時間が過ぎている)ので、人通りも少なく、約40年前の昔のままの雰囲気が漂っているように思えた。

 「哲学の道」を歩いていると、私の「青春日記」の一ページを捲っている感覚だ。約40年前に「哲学の道」を歩いたときには、「米国への留学」を既に決意しており、「米国留学の計画」を練っていた頃だから、本当に懐かしい思いがする。

 「米国へ留学する」ということを決心するまでには、様々な事があったが、それらを一つ一つ思い出しながら「哲学の道」を歩いた。

 そして、「米国への留学」が実現し、英語の語学留学を経て、大学でB.A.(理学士)及び大学院でM.S.(理学修士)の学位をPhysics(物理学)でそれぞれ取得できたことや、「留学中」のさまざまな想い出や出来事が脳裏に浮かんでくる。「私も年をとったものだ」と、つくづく思う。

 留学から帰国した後、「京都」や「奈良」は、よく訪れたものの、「哲学の道」を訪れることは、なかなか実現できなかった。いつか「京都」を訪れたら、もう一度ゆっくりと歩いてみようと思っていたところだけに、今日は、特に感慨深い。

 「哲学の道」を歩いていて、その途中のお店で、閉店間際だったけれど、無理をお願いして暫く開けておいてもらって、早めの夕食として「ミックス・サンド」、「わらび餅」、そして「冷抹茶」を注文する。コンサートの前に、ちょっと「腹ごしらえ」をしておくために。

 御腹を満たした後、「法然院まであとどのくらいですか?」とお店の女性に訪ねたら、「5分位ですよ」と教えて頂いた。

 

法然院法然院サンガインド古典音楽

 「哲学の道」を歩きながら、「法然院」への道案内の標識に従って歩いて行くと、「右:安楽寺」「左:法然院」という標識があった。

 当初の予定では、今日は、「安楽寺」が特別拝観日だったので、「法然院」を訪れる前に「安楽寺」を訪れる予定だったが、「建仁寺」でかなりゆっくりと時間を過ごしてしまったので、今日は、参拝することをあきらめて、次の機会を待つことにした。

 「左:法然院」の標識に従って道を左に進むと石でできた階段が見えてきた。その階段を昇って行くと、「総門」があり、その近くには、杜に覆われた場所がある。それがどうやら「法然院」の「墓所」であるらしい。多くの著名な人々がここに永眠されている。

 周囲が徐々に暗くなってきたので、今回、墓参はしなかったが、墓所には、阿育王(アショーカ王)塔、法然塔、忍澂の金剛塔ほか、近代以降の著名人の墓が多い。例えば、京都を愛した作家・谷崎潤一郎1886- 1965)と松子1903-1991)夫妻、マルクス経済学者・河上肇(1879-1946)夫妻、哲学者・九鬼周造(1888-1941)、東洋史学者・内藤湖南(1866-1934)、考古学者・浜田青陵(1881-1938)、考古学者・梅原末治(1893- 1983)、理学博士・玉城嘉十郎(1886-1938)、経済学者・河田嗣郎(1883-1942)歌人・川田順1882-1966)、俳人・松尾いはほ(1882-1963)、作家・稲垣足穂(1900-1977)、日本画家・福田平八郎(1892-1974)、日本画家・石崎光瑶(1884-1947)、日本画家・梶原緋佐子(1896-1988)ノーベル化学賞受賞者・福井謙一1918-1998)、内科学者・俳人・松尾巌(1882-1963)。等

 とりわけ作家の「谷崎潤一郎」が一般に知られた人物の一人ではないだろうか。

 私には、湯川秀樹及び朝永振一郎の両博士の京都大学時代の恩師の一人であった理学博士玉城嘉十郎」が特に気になった人物である。

 そして、後日談になるが、歌人「川田順」にも興味を覚えるようになった。

 

 杜に覆われた「墓所」を正面に見て左(即ち、北の方向)に折れると、段々になっている石畳の「参道」があり、「参道」の先には苔むした茅葺屋根が印象的な「法然院」の「山門」が見えてくるが、拝観時間(午前6時から午後4時まで)が過ぎているので、「山門」は、既に閉じられている。

 杜の木々がさやぐ音を聴きながら「参道」を歩いて行き、閉門している「山門」の脇を通って「法然院」の境内に入る。

 山門」が開いていれば、「山門」を入ってすぐ両側(東西)に、二つの「白砂壇」(びゃくさだん)がある。これらの「白砂壇」は、横7m、縦3m、高さ数10㎝の台形に白砂が盛られている。西側の「白砂壇」は、砂盛が東側の「白砂壇」よりも、大きく造られている。

 「白砂壇」に描かれている「砂紋」は、水紋、波、渦、葉、花、そして時には文字などの文様が組み合わされ、45日に一度、僧により描き換えられている。

 参詣者は、通常、「山門」を入り、二つの「白砂壇」の間の「石畳の参道」を抜けることにより、心身を清めて「浄域」に入る。

 しかし、今日は既に「山門」が閉じられていたので、私は、「山門」の脇から境内(「浄域」)に一度入った後、逆方向から回って、「白砂壇」の間を歩いてから再び「浄域」に入った

 「法然院」の境内の様子から、やはり以前(約40年前)訪れたのは、「法然院」ではなく、「安楽寺」或いは「霊鑑寺」(れいかんじ)のいずれかのようだ。

 いずれ近いうちに、「特別拝観」の期間中に「法然院」を再び訪れてみたいと思っている。その時に、「安楽寺」或いは「霊鑑寺」も訪れてみたいと考えている。

 

 「庫裏」の「玄関」から中に入ると「法然院サンガインド古典音楽」の「受付」があった。「法然院」の「庫裏」は、大変に立派な造りで、内部はうす暗いが「是如 一掃除 二勤行 とや 落葉掃く」という句が書かれた「衝立」が正面に置かれている。

 「受付」の人に訊いたところ、今夜のコンサートは、「方丈」で開催されるらしいが、「受付開始の時間までちょっと時間がある」と言うので、境内を暫く散策することにした。

 静かな境内を散策していると、「講堂」の扉が開いていたので中を覗いてみると、何かの「展示会」が行われていて、そこにいらした方々に「どうぞ中に入って休んでいって下さい」とスナックやお茶を勧められた。しかし、つい先程、食事を採ったばかりだったので、丁重にその親切なお誘いをお断りして、その場から離れて、境内を更に散策することにした。

 観光客がいない、夕闇せまる京都・鹿ヶ谷(ししがやつ)にある「法然院」の境内は、なかなか情緒があってよい雰囲気だ。本来ならば拝観時間が過ぎているので、御寺の境内を散策することができないのだが、「法然院サンガ」の御蔭で、静まり返った「法然院」の境内をゆっくりと散策することができる。

 京都や奈良の御寺の本来の雰囲気を味わうには、早朝や夕方に散策するのが一番よい時間帯なのだろう。「方丈」の「庭園」の方から独特の楽器の音が聴こえてくる。どうやらコンサートの練習をしている様子だ。

 境内を散策していて目に入ってきたのは、岩室の「地蔵堂」に祀られている、「忍澂」の等身という「地蔵菩薩立像」(洞の地蔵、168㎝)である。江戸時代、1690年に鋳造されたものらしい。また、「地蔵堂」には、歴代の髪が納められているらしい。

 

 暫く境内を散策した後、受付を済ませて「方丈」に上がる。開場まで時間がまだあるとのことで、「方丈」の内に設けられている「休憩室」で御茶を飲みながら待機する。

 「方丈」は、1595年(安土・桃山時代)に造営された第111代・後西天皇の皇女「誠子内親王(1654-1686)の「御座所」であった伏見桃山城「八百宮御殿<やおのみや>を、1687年に「法然院」へ移築したものである。

 「方丈」の「桃山の間」には、安土・桃山時代の「狩野光信」(~1608)による障壁画(重文)が描かれている。その障壁画は、数少ない「狩野光信」の遺作の一つとされている。

 

 「休憩室」で御茶を飲みながら暫く休んでいると、やがて開場の時間になったので、コンサート会場へ行く。

 コンサート会場は、「襖絵」がある「方丈」の三部屋を、仕切りの障子を外して三部屋続きの「一部屋」としたところで、かなり広い。聴衆も思いのほか多く集まっている。

 また、会場は、「方丈」の「庭園」に面した引き戸が全て外されており、演台の後方に、「方丈」の「庭園」が広がっていて、その景色をゆったりと眺めることができる。

 方丈」前にある浄土式「庭園」は、江戸時代、1687年頃に作庭されたものと思われるが、作庭者は不詳。

 「方丈」の「庭園」は、東山の深い自然の森を背景にし、楓などの植栽と庭は渾然一体となっている。心字の池(「方丈池」)があり、その中央に反った板石橋が架けられている。手前が此岸、向こう岸は彼岸を表すという。橋向こう中島の彼岸には、「三尊石」(阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩)が据えられている。さらに奥の岸、山裾に小ぶりの石灯籠(室町時代、1528年の銘)が据えられている。また、庭園の「方丈池」は、大正期に小川治兵衛により拡張され、石橋が架けられた。かつては、この付近にも「白砂壇」があった。

 

 「インド古典音楽@法然院」の御蔭で、素晴らしい「方丈」の「庭園」を拝観することができただけでも、大いに感激した。また、有名な「椿の木」がある「中庭」や、茶室「如意庵」(書院の東北)がある「お庭」も眺めることができた。通常は、特別公開の期間41日~7日と111日~7日の期間を除いて「非公開」なので、「方丈」の「庭園」や「方丈」の「襖絵」、「中庭」の「三銘椿」等を拝観することができない。

 「方丈」の「回廊」を歩いていると、それだけでも心が和む。これは、どこの「御寺」を訪れても、いつも感じることである。「教会」とはやはり異なる。

 

法然院サンガ:「インド古典音楽@法然院

午後6時午後5時半開場 本坊(「方丈」)

出演

                                 サントゥール:宮下節雄 (Jimi Miyashita)

                                 タブラ:    クル・ブーシャン・バルガヴァ

                                 タンブーラ: 井上希美

 

 「インド古典音楽@法然院」は、「方丈」の「庭園」を背景に、「ししおどし」の音や、「方丈池」の「モリアオガエル」の鳴き声が時々ハーモナイズされて、境内での演奏として、独特な雰囲気を醸し出しながら開催された。

 京都の御寺で、仏教の母なる国「インド」の「古典音楽」を聴くとは、思ってもみなかったが、なかなか気分がよいものである。

 コンサートは、サントゥール奏者の「宮下節雄」を中心に、タブラ奏者の「クル・ブーシャン・バルガヴァ」、そしてタンブーラ奏者「井上希美」の素晴らしいコラボレーションで行われた。

 いずれも初めて聴く楽器だったが、それらが奏でる音楽に魅せられた。音楽による「心のヒーリング」を実感した。

 コンサートの様子は、その一部を以下のYoutubeで見ることができる。

 

http://www.youtube.com/watch?v=ENWGXCBv5KU

 

 帰りのバスの出発時間までの余暇をどのように過ごすか検討していたとき、「法然院」のウェブサイトの「法然院サンガ」で偶然に見付けたコンサートだったが、本当に素晴らしい一時を過ごすことができた。今日一日を締めくくるには、最高のイヴェントだった。コンサートが終了してから受付にあったサントゥール奏者の宮下節雄さんの最新CDを今日の記念に購入して、宮下さんにサインをして頂いた。今日のコンサートは、まさに「一期一会」であった。

 

 すっかり暗くなった月夜の中の「法然院」の境内。雰囲気は最高。

 通常、観光客は、夜間に御寺の境内を訪れることができないのだが、北鎌倉の「東慶寺」でも何度か体験したが、夜の境内は、本当に別世界だ。

 

蛍が舞う哲学の道

 コンサートを終えて「哲学の道」を「蹴上駅」まで歩いて戻ることにした。疎水では、源氏や平家の「ホタル」が飛び交い、その「淡い光」が「幻想的な世界」へ誘うようだ。先程まで聴いていた「インド古典音楽」の余韻が記憶の中に残っているからだろうか。(毎年、若王子神社~銀閣寺橋までの約2kmにわたる疏水沿いを源氏蛍(ゲンジボタル)、平家蛍(ヘイケボタル)が舞うらしい。種類は、主に「平家蛍」。やはり「京都」という土地柄からか。)

 ときどき「蛍」が舞う闇夜の「哲学の道」は、独特の雰囲気が漂う。古都の夜とは、元来、このようなものなのだろうと、実感する。「南禅寺」の門前まで、静寂な暗闇の中で、いろいろな事を考えた。

 

法然上人

法然上人が詠まれた「月かげ」のお歌

 月の光はすべてのものを照らし、里人にくまなく降り注いでいるけれども、月を眺める人以外にはその月の美しさはわからない。阿弥陀仏のお慈悲のこころは、すべての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える人のみが阿弥陀仏の救いをこうむることができる・・・という意味。

 法然上人は、「月かげ」のお歌に、『観無量寿経』の一節「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」のこころを説いた。

 法然上人の「み教え」は、厳しい修行を経た者や財力のある者だけが救われるという教えが主流であった当時の仏教諸宗とは全く違ったものであり、「南無阿弥陀仏」と称えればみな平等に救われる、というものだ。法然上人の「み教え」は貴族や武士だけでなく、老若男女を問わずすべての人々から衝撃と感動をもって受け入れられ、800年を経た今日も、その「み教え」は多くの人々の「心のよりどころ」となっている。

 私は、いろいろな御寺を拝観していて、「浄土宗」の御寺が、参拝者に対して開放的なところが多いことに気付いた。その代表的なものは、京都「知恩院」である。また、鎌倉・材木座にある「光明寺」も同様だ。それは、法然上人の「み教え」が今も受け継がれているからだと思っている。

 

終りよければ、全てよし

 

という言葉を思い出した。JR京都駅に無事到着。その後、定時にバスに乗車することができた。

 やはり、古都「奈良・京都」は、いつ訪れても「心」が和む。日本人に生まれてよかったと思う瞬間だ。

 今回は、夜行の高速バスに乗車して「奈良・京都」を訪れてみたが、時間を有効に活用できる点では、昔の寝台急行「銀河」と同様である。これからも、特別公開・開帳等の開催に合わせて、高速バスを利用してみようと思う。

2013年4月28日日曜日

Yuja Wang Pian Recital in Yokohama


平成25418日(木)@神奈川県立音楽堂

 ユジュ・ワン」(王羽佳:Yuja Wang)のピアノ・コンサート(ソロ)を聴いた。

使用したピアノ:Steinway

演奏された曲目は以下の通り:

(1)プログラム曲
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 2 嬰ト短調 op.19『幻想ソナタ』
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 6 ト長調 op.62
ラヴェル:ラ・ヴァルス
(休憩:20分)
リーバーマン:ガーゴイル op.29
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ 2 変ロ短調 op.361931年改訂版)

(2)アンコール曲:(5曲)
プロコフィエフ:トッカータ
ラフマニノフ:エレジー
ビゼー作曲ホロビッツ編曲:カルメンのテーマによる変奏曲
グルッグ:メロディ
シューベルト作曲リスト編曲:糸を紡ぐグレートヒェン

感想
唯一言「素晴らしい」!「もう一度聴きたい」。

最初の曲、「スクリャービン:ピアノ・ソナタ 2 嬰ト短調 op.19『幻想ソナタ』」を聴きはじめた瞬間に、心の中から自然に感動の波が起こり、この一曲で彼女の演奏に対して既に感極まってしまった。
3曲目の「ラヴェル:ラ・ヴァルス」で、彼女の凄まじい程にダイナミックな手の動きが見られる演奏を大いに堪能することができた。このような難しい曲を「楽しそうに演奏」して「聴衆を魅了する」ことができるということ自体が素晴らしい。
そして、インターミッション直後に演奏された「リーバーマン:ガーゴイル op.29」を聴いているとき、私の心は、≪Voyager I≫に乗って「宇宙の空間」を旅していた。

 アンコールでは、彼女のダイナミックなプレイと共に、対照的な繊細なプレイも堪能できた。あの感情豊かな演奏は、彼女の「まだ若い人生」の体験から生まれてくるものだろうか。それとも、。。。

ピアニストのテクニカル的な点については、私の範疇ではないが、それでも、彼女の凄さは、実感することができた。