2011年5月10日火曜日

5月文楽東京公演



平成23年5月の「文楽」東京公演は、「人形」浄瑠璃ファンとして、第2部を選ぶべくして選んだ。それは、現在活躍している人形遣いとして最も注目している人間国宝「吉田簑助」、人間国宝「吉田文雀」、「吉田和生」、「桐竹勘十郎」、そして「吉田玉女」の5人が出演するからである。

「あぜくらの会」が主催した「吉田和生」の講演会に参加してから、すっかり人形浄瑠璃の人形の魅力の虜になってしまったが、文楽を観劇するときには、吉田和生の助言に従って字幕を読まずに、人形の所作・仕種を観ながら、浄瑠璃語りと三味線を聴くことで、演じられている物語の内容をある程度理解することができるようになってきた。勿論、事前に「文楽ハンドブック」等を開いて対応する物語の「あらすじ」を読んでから観劇するのだが。

2月公演の「義経千本桜」(道行初音旅の段)で吉田簑助が遣う「静御前」の舞を観たときに、「何と美しい女らしい所作・仕種を見せてくれるのだろう」と思った。それ以来、吉田簑助が遣う「女」の人形をさらに観たくなってしまった。そして、今回の公演「生写朝顔話」に登場する、「文楽の女-吉田簑助の世界」(山川静夫・著)を読んでいたときに気になっていた「女」の一人である、「深雪(朝顔)」に注目して観た。

今回の公演は、「明石浦船別れの段」、「宿屋の段」、そして「大井川の段」の三段で構成されており、それぞれの段で「深雪」の性格がよく表されていて、本当に人形が遣われているのかと疑われる程に、「深雪」の所作・仕種がリアルに表現されていた。

「深雪」の所作・仕種は、「阿曽次郎」に対する「一途な思い」が随所で見事に表現されているが、それにしても「阿曽次郎」に対する「深雪」の思い入れは、「凄まじさ」を感じる。観客(特に女性)の中には、「深雪」の「思い入れ」が「あまりにも烈し過ぎる」と感じている人が多いらしい。

しかし、恋愛に関して「クール」な女性よりも、「一途」な女性の方が、現実ではともかくとしても、「ドラマ」の主役としては最も適しているように思える。勿論、「相思相愛」の場合に限られるが、一方的な恋(片思い)では、男女を問わず「ストーカー」になってしまう。

「生写朝顔話」を観ているときに、どの段であったか定かでないが、ある瞬間「深雪」の所作・仕種を観ていて、人形が遣われているということを忘れてしまう程感激した場面があった。「これはすごい。深雪(朝顔)がまるで生きているみたいだ」と、吉田簑助の人形遣いを観ているときに感じた。

そして、その人形の所作・仕種に対して、浄瑠璃語りと三味線が見事に調和して聴こえてくる。そのとき、一瞬「あっ!」と思った。人形・浄瑠璃語り・三味線が「三位一体」となったからである。「これが人形浄瑠璃の真骨頂なのか」と痛感した。

「宿屋の段」で「朝顔」が箏を爪弾きながら唄った「露の干ぬ間の、朝顔を照らす日影の強顔(つれな)きに、あはれ一村雨の、はらはらと、降れかし」の解釈について:「浄瑠璃名作集 上」近石泰秋 大日本雄弁会講談社(1950年)によれば、「露の乾かない間の早朝を咲き誇っている早朝の花はいつまでも咲いていてほしいと思うのに、日の光は容赦なく照りつけて、早くも朝顔をしおれさせてしまう。ああそのしおれないうちに村雨が降ってくれればよいのに。」という意味である。